経営者は“教祖”ではなく“宣教師の親分”になる
前回は会社の不祥事はなぜ起こるのかという話から、三菱自動車の例を取り上げ、生き残るつもりなら、経営陣の総退陣と主要幹部の総入れ替えをするか、国内外のまともな会社に買われるべきと指摘しました。
小宮コンサルタンツ代表
結果は不祥事発覚から3週間という短期間で、日産自動車の傘下に入ることが決まりました。ある調査会社によると、三菱自動車グループの下請企業の合計は全国で約7800社、一次下請先、二次下請先の総従業員数は約41万人を超えるということなので、彼らにとっても良かったと思います。ある面、軽自動車部門や三菱自動車が強い東南アジアや豪州での基盤を欲しかった日産の思惑通りに事が進んだとも言えます。
しかし中小企業がこのような不祥事を起こせば倒産は免れないため、そういうことを避けるためにも、まず、経営者が正しい考え方を身につけ、そしてそれを普段から時間を掛けて浸透させ、会社の体質を改善していくしかありません。そして、それはもちろん強い会社づくりにもつながります。
ところが「経営者の考え方を浸透させる」ところで、落とし穴にはまる経営者が少なくありません。経営者、とくに創業経営者には自分で会社を興して育て上げたという自負があります。また、創業経営者でなくても、会社をリードし、考え方の基本は自分なのだから、といわゆる“教祖”になってしまいがちな人がいます。それを望んでいる人もいます。
教祖になりたがる経営者は「自分の考えや言っていることは正しい、だから従業員は自分の考えを学び従うべきだ」という姿勢で接します。若い時は謙虚であっても、年齢を重ねて会社の経営がある程度軌道に乗るとちやほやする取り巻きが現れ、謙虚さを忘れて教祖になりたがるのです。
私は経営者に対し「宣教師の親分になってください」と話しています。
“教祖”と“宣教師”の違いが分かりますか?