「多数決」はあらゆるところで使われている。このところ頻繁に行われる予定の選挙など、最たるものだろう。しかし、『「多数決」を疑う――「みんなの意見のまとめ方」を科学する』の著者である坂井豊貴氏によると、「多数決は多数派の意見さえ尊重できないときがある、欠陥だらけの制度」だという。その「欠陥」とは何だろうか。
(『「決め方」の経済学』から一部を特別に公開します)
共和党予備選前に起きた一騒動
アメリカには民主党と共和党の二大政党がある。大統領選でも、民主党が指名する候補と共和党が指名する候補が激戦を繰り広げるのが通常だ。1852年に大統領の座を射止めた民主党のフランクリン・ピアース以降、これら両党以外から大統領が出たことはない。
各党が指名する候補を決める段階には、予備選と呼ばれる党内選挙がある。
2016年に行われる大統領選の前年、2015年には、予備選が始まる段階で、共和党の指名をめぐる奇妙なひと騒動があった。
ドナルド・トランプは「お前はクビだ!(You’re fired!)」と脱落者に宣告するテレビショー「アプレンティス(実習生)」で人気を博した、過激な発言が目立つ不動産王だ。彼は共和党の指名を獲得したい。
そして指名獲得の争いに加わるためには「自分が指名されなかったときに、大統領選に立候補しない」という宣誓に署名する必要がある。ここで何としても指名を得たいトランプは、いっとき署名を拒んでみせた。
これは何を狙ってのことだろう。
トランプの狙いは「票の割れ」
仮に共和党がトランプ以外の人を指名したとしよう。その人と、民主党が指名する候補が、二大政党が擁立する候補だ。これら両名が激戦を繰り広げるなかへトランプが乱入したら、共和党の票が割れてしまう。
トランプは勝てずとも、共和党の指名候補と共倒れする程度のことはできる。署名を拒むのが「オレを指名しないと共和党を負けさせるぞ」という脅しとして働くわけだ。
最終的にトランプは党の上層部の説得に折れ(あるいは行為の不利を悟り)、宣誓に署名した。ただし大統領選に出馬するのはアメリカ国民の重要な権利の1つだから、宣誓に法的拘束力はない。あくまで道義上の紳士協定だ。
票の割れを起こすぞと脅しをかけるのは愉快なトランプ氏のオリジナルな行為だが、票の割れ自体は、アメリカ大統領選ではときおり起こっている。
ネーダーが参戦しなければ
イスラム国は誕生しなかった?
2000年のアメリカ大統領選では、民主党が指名するゴアと共和党が指名するブッシュが二大政党による主要な候補だった。当初の見込みだとゴアが有利だったが、途中で異変が起こる。「第三の候補」として緑の党からネーダーが参戦したのだ。
ネーダーに勝つ見込みはない。だが彼の支持層は、ゴアの支持層とかぶる。最終的にネーダーはゴアの票を一部奪い、それが致命傷となってゴアは敗北、ブッシュが逆転勝利した(注1)。「多数決」とはいうものの、その結果が多数意見を反映するとは限らない。
この逆転劇はその後の世界情勢に少なからぬ影響を与えた。ブッシュが大統領になった2001年に、アメリカは同時多発テロの被害に遭った。彼は報復として同年にアフガニスタン侵攻を開始、2003年にはその延長線上にイラク侵攻を開始する。
イラクはフセイン政権が倒れて「民主化」するが、統治は安定しない。結局フセイン政権の残党が、イスラム過激派の組織を結成してイラクの一部を奪回する。それが母体となって準国家IS(いわゆる「イスラム国」)にまで成長、今や世界的な安全保障上の脅威だ。
イラク侵攻は当時からアメリカ国内でも反対が強いものだったが、これは自分の父親が大統領だった頃からフセインと因縁深いブッシュが大統領であったからこそ起こったものだと考えられている。
歴史に「もし」はなくとも、「ありえたはずの現在」としてを考えるのは、今ある現在をよりよく理解するうえで、また未来への選択を考えるうえで有用なことだ。
もしゴアが大統領ならイラク侵攻は起こらず、ISをめぐる混乱の数々は起こらなかっただろう。それはネーダーが立候補しなければ、ありえたはずの現在なのだ。
むろんこれはISの誕生がネーダーのせいだと言っているわけではない。ネーダーは単にある年のアメリカ大統領選に信念を持って立候補しただけで、イラクへの開戦判断には何ひとつ関係していない。
実際、ネーダーはイラク侵攻を「アメリカ帝国(The U.S. empire)」の仕業と呼び、きわめて批判的でさえある。しかしそのような彼の立候補が、かのような事態を招く一因になってしまうことが、多数決という仕組みの奇妙な点なのだ。