日本でもよく起こる
「票の割れ」

 日本の選挙でも同様の票の割れはよく起こる。国政選挙で、与党の候補に対して、複数の野党がそれぞれ別に対抗馬を擁立して共倒れするのがそれだ。

 一例をあげると、2012年の衆院選の小選挙区では、与党の自民・公明両党が計2653万票で246議席を獲得したのに対して、野党は計3310万票を集めながらも54議席しか獲得できなかった。

 こうした事態は「対立候補の一本化に失敗」のように報じられる。むろん「失敗」とはネガティブなフレーズ。このときには候補を一本化しない野党の戦い方、あるいは投票先を一本化しない有権者たちの投票行動が、ダメだと非難されているのだ。

ダメなのは「人」ではなく
多数決という「制度」である

 でもこれは政党や有権者、つまり人がダメなのだろうか。政党は選挙のためだけに烏合すべきなのか。有権者は勝つ見込みの薄い候補に票を入れるべきではないのか。そのようにせねば不利である、だからすべきだ、というのは規範ではなく、多数決という制度に押し付けられる制約にほかならない

 ネーダー支持者も、ネーダーに勝つ見込みがあるとは思っていなかっただろう。では彼らはゴアに投票すればよかったのか。実際、票の割れを恐れたゴア陣営は、ネーダー支持者に「ネーダーへの投票はブッシュに投票するようなものだ(だからゴアに投票しよう)」と呼びかけていた。でも人々はなかなかその呼びかけには従わない。

 これは当然といえば当然のことだ。人間には自分の意思を正しく表明したいという欲求がある。そして選挙には、人々の意思の分布を明らかにする役割だってある。ネーダーの立候補には、二大政党制への異議申し立てという意義もあった。それに共鳴する人は、二大政党の一翼から出馬するゴアに投票するわけにはいかない。

ダメなのは、ネーダーでもなく、ゴアに投票しなかったネーダー支持者でもなく、多数決という決め方ではないだろうか。人ではなく制度のほうに問題がある。