磯村 「負け」を認めなくとも、自分を正当化することができるからではないか、と思います。たとえば、その1つが「学歴の私的利用」です。

 入学難易度の高い大学を卒業した人が、自分よりも難易度の低い大学の卒業者にキャリア形成で逆転されたとします。そのとき、自分のプライドなどを守る言い訳として学歴を使うことがあるように思えます。「自分は○○大卒だから、あの社員よりも力はある。本来はもっと認められていいのだ」というように。

筆者 自分で自分を慰めるのですね。

磯村 学歴は目に見えるものですから、本人としては納得感があると感じ取っているのでしょう。社会には学歴にハマリやすい人が多数いる以上、その言い分は確かに一定の説得力を持つのです。

 その逆もあります。キャリア形成などで十分に勝っているにもかかわらず、たとえば「自分は、あの人よりも入学難易度の低い大学を卒業した」と、今も負けていると思い込む人です。

筆者 「学歴の私的利用」は、社会の隅々にまで浸透しているように感じます。

磯村 学歴のスクリーニング機能が強く社会に効いている、と思います。学歴は、社会の広い範囲で、多くの人に適用でき、普遍性が高い上に、その結果が明確です。人の評価に使いやすく、他に代わるものがなかなかない。だからこそ、「学歴の私的利用」をする人が減らないとも言えます。

「学校歴の競争」で昇進・昇格が
決まる企業なんて、実は少ない

磯村 社会学者などの調査では、高卒と大卒の会社員の間で、賃金や昇進・昇格などの面で一定の差があることは、かねがね指摘されてきました。確かに、その意味での学歴格差はあるのだと思います。

 しかし大卒者の場合は、どこの大学を卒業したかという「学校歴の競争」の結果で、賃金や昇進・昇格が決まる会社は少ないと私は思っています。

筆者 確かに少ないのでしょうね。一方で、卒業大学・学部で出世などが決まっていることを信じたい人もいると思います。一定のレベルを超えた大学を卒業したものの、今の自分に劣等感や不満がある人に……。