電車故障結婚

 ところが幸一の年貢を納める日は、彼の宣言した30歳よりずっと早くやってくる。

 昭和21年(1946年)9月17日、彼は26歳の誕生日を迎えた。

 復員してからのこの3ヵ月間、ずっと働きづめだったこともあって、久々に映画を観に行こうという気になった。今風に言えば“自分にご褒美をあげたい”ということになるだろうか。

 この日、近所で薬問屋を営む上田良吉の長女良枝(当時20歳)も、弟と一緒に映画に行こうとして市電に乗った。ところがその途中、電車故障のために全員降ろされ、そこで幸一とばったり顔を合わせることになった。

 父親同士が飲み友達だから、知らない仲ではない。幸一は風邪で来られなかった良枝の母親のチケットを譲ってもらい、3人で映画を観ることになった。

 天下の二枚目・長谷川一夫主演の『雪之丞変化』である。大ヒットしたヒーローものだけにすっきりした気持ちで映画館をあとにし、チケットのお返しにと、2人にぜんざいをおごることにした。

 別になんということはない出来事だった。

 ところがそのことが双方の親の知るところとなって意外な展開を見せはじめる。信がしめたと思ったからだ。ここから親同士の間で結婚話へと発展していく。

 幸一自身、良枝の控えめなところをにくからず思っていた。それに何より、結婚した方が商売の助けをしてもらえるのではないかと考えなおした。後年、“貫く”としばしば揮毫し、仕事の上で信念を貫くことに執着した彼も、プライベートは別だったのである。

 それから3ヵ月後にプロポーズ。数日後、承諾の返事が来た。そもそもの出会いが偶然の賜物だっただけに、彼は後にこの結婚を“電車故障結婚”と呼んで笑い話にした。

 当時の幸一は、ようやく商人としての第一歩を踏み出したばかりだ。良枝の両親は、やっていけるのだろうかと娘の将来を心配したようだ。

「20人も店員さんのいるような薬問屋からの縁談もありましたのに……」

 良枝の母親が冗談めかしてちらっと口にしたこの言葉が、幸一を発奮させた。

 (今に見ていてもらおうやないか)

 そして婚約中の良枝に〈せめて十人くらい使える身分になりたい〉と手紙を書いた(『ワコールうらばなし』所収、飯田菅次郎、「和江会史」より)。

 後に気宇壮大なことを連発する人間にしては意外なほどささやかな夢である。将来の伴侶にはあまり大きな期待をしてもらうのは得策ではないと、これまた仕事ではなくプライベートだから冷静に判断したのかもしれない。

平安神宮での幸一と良枝の結婚式(1947年2月4日)

 昭和22年(1947年)2月4日、平安神宮で式を挙げた。今となっては、なぜ幸一がこの日を選んだのかはわからないが、火曜日の友引で、最高気温6度という大変寒い一日だった。

 モーニングなど持っていないから、得意先に貸してもらった。良枝の花嫁衣装は信が義妹から借りたもの。金に余裕がないから借り物競走のようになるのはしかたない。

 それでも、角隠しに鶴の吉祥模様の本振袖を着た花嫁姿の良枝は、惚れ惚れするほどあでやかだった。

 たまたまこの時、平安神宮にロバート・アイケルバーカー中将一行が訪れていた。GHQでダグラス・マッカーサーの次に位置する権力者だ。彼の後ろを記者たちがぞろぞろついて歩いている。

花嫁姿の良枝を祝福するアイケルバーガー中将(1947年2月5日付『京都新聞』より)

 そしてアイケルバーガーは、良枝の花嫁姿を目にして立ち止まった。中将と日本の花嫁――これは格好の被写体だ。

 良枝のほうばかり写されて、幸一としては大いに不満であったが、翌朝の新聞に写真入りの記事が載ったのはいい記念となった。

 新婚旅行は奈良。京都からだと日帰りできる距離だが、新婚の2人にとってはどこであっても幸せいっぱいであった。