第一章 

 地下鉄の駅を出て、森嶋真はコートの襟を立てた。

 30分ほど前に地下街に下りたときには小雨だったのが、降りしきる雪に変わっている。

 滑る足元に注意しながらマンションに急いだ。

 駅から徒歩10分、中野のマンションに住み始めて一週間になる。それまではアメリカ東海岸、ボストンに住んでいた。キャリア官僚として国土交通省に入省、ハーバードの大学院に留学していたのだ。

 帰国して公務員宿舎に入る予定が、役所のミスで当分マンション暮らしになったのだ。こんなミスなら大歓迎だと思うが、2DKの古いマンションとはいえ、マスコミに知られれば非難の対象になることは間違いない。

 マンションのドアの前で立ち止まった。廊下の隅に立つ黒い影に気付いた。その影は森嶋を見つめている。

 影が森嶋の方に近づいてきた。

 反射的に身構えた。アメリカでは脅されれば、逆らわず有り金渡してしまえと教えられた。

「森嶋真だよね」

 黒い影が問いかけてきた。

「高脇なのか。何してるんだこんなところで」

「きみを待っていた。電話しても通じないんで。ここは葉山に聞いたんだ」

 高校時代の友人の名をあげた。帰国後会った、数少ない友人の一人だ。

「アメリカで携帯電話をなくしたんだ。日本で新しい番号に変更したが、まだほとんど知らせてない」

「寒いよ。中に入れてくれ」

 確かに、声が震えている。

 森嶋は急いでドアを開けた。中も気温は変わらないはずだが、雪と風が遮断された分、温かく感じる。

「顔色が悪いぞ。何か飲むか」

 森嶋はエアコンのスイッチを入れ、やかんをコンロにかけながら聞いた。

 高脇はアルコールが体質的にダメなのだ。ビール一杯で意識を失いかけたことがある。