日本銀行による金融政策が、これまでどのように行なわれてきたかを振り返ってみよう。

公定歩合操作から公開市場操作へ

 かつての日本では、市中金利は「公定歩合」と連動するように規制されていた。公定歩合は、日本銀行が民間銀行へ貸し付けを行なう場合の基準金利である。日銀はこれを操作することで金融政策を行なってきた。

 1994年10月、市中金利は完全に自由化され、公定歩合によって市中金利を操作することはできなくなった。

 そこで、日銀は、公開市場操作によって市中金利をコントロールする方式に転換した(注1)

 公開市場操作とは、日銀が金融市場で有価証券を売買する操作だ。売買の対象は、CP(コマーシャル・ペーパー)、手形、国債である。「オペレーション」あるいは「オペ」と呼ばれることもある。

 公開市場操作を実行する際に目標とされたのは、短期金融市場の金利だ。具体的には、無担保コール翌日物の金利である。現在、日本で「政策金利」という場合には、この金利を指す。

 なお、「コール市場」とは、金融機関同士が短期資金の貸借を行なう市場である。無担保コールでは、短資会社が資金の出し手と取り手を仲介している。

 アメリカで「政策金利」という場合には、「フェデラル・ファンド金利」(FF金利)を指す。「フェデラル・ファンド」とは、アメリカの民間銀行が連邦準備銀行に預託する無利子の準備金であり、この預託金額を維持するために銀行が資金を調達する短期金融市場の金利が「フェデラル・ファンド金利」である。

「買いオペ」は中央銀行が銀行から国債などを買う操作だ。購入代金は、銀行が日銀に設けている当座預金の口座に振り込まれる。これにより、銀行の日銀当座預金残高が増える。

 すると、コール市場で資金を調達する必要が少なくなる。このため、コール市場での資金需要が減り、コール金利は下がる。

 なお、債券の売買に応じるかどうかは民間金融機関の自由であり、金融機関の申し込み金額が入札予定額に達しない場合には、「札割れ」となる。

(注1)公定歩合から政策金利へ

日銀は2000年8月にゼロ金利政策を解除したが、金融不安が高まるのを防ぐため、01年2月に「ロンバート型貸出制度」を導入した。これは、担保さえあれば、日銀が無制限で民間銀行に公定歩合で融資する制度である。

01年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件で金融不安が高まったため、日銀は公定歩合を史上最低の0.1%まで下げた。06年7月にゼロ金利政策が解除され、公定歩合は0.4%となった。その後、07年には0.75%まで引き上げられたが、現在では0.3%となっている。

なお、日本銀行は06年8月に、公定歩合という名称は使わず、「基準割引率および基準貸付利率」と呼ぶこととした。