哲学史2500年の結論! ソクラテス、ベンサム、ニーチェ、ロールズ、フーコーetc。人類誕生から続く「正義」を巡る論争の決着とは? 哲学家、飲茶の最新刊『正義の教室 善く生きるための哲学入門』の第9章のダイジェスト版を公開します。


 本書の舞台は、いじめによる生徒の自殺をきっかけに、学校中に監視カメラを設置することになった私立高校。平穏な日々が訪れた一方で、「プライバシーの侵害では」と撤廃を求める声があがり、生徒会長の「正義(まさよし)」は、「正義とは何か?」について考え始めます……。

 物語には、「平等」「自由」そして「宗教」という、異なる正義を持つ3人の女子高生(生徒会メンバー)が登場。交錯する「正義」。ゆずれない信念。トラウマとの闘い。個性豊かな彼女たちとのかけ合いをとおして、正義(まさよし)が最後に導き出す答えとは!?

刑務所を「哲学」すると、正義の輪郭が見えてくるPhoto: Adobe Stock

フランスの「特殊な文化」とは?

前回記事『人類の希望を打ち砕く「ポスト構造主義」とは?』の続きです。

「最初にフーコーの人となりから説明したいと思う。が、まずそのためには彼の母国フランスの『特殊な文化』について説明しなければならないだろう」

「フランスと日本を比べたとき、文化として明確に違うこと。それは『知識人に対する尊敬の念の深さ』だ」

「たとえば、日本では、知識人というのは基本的にそれほど尊敬されていない。実際、ニュース番組などで知識人や学者が出てきて、何かの時事ネタについて難しい持論を長々と語り始めても、まともに聞く人はほとんどいないだろう」

「それよりも、その隣に座っている芸人やタレントの庶民的だったり刺激的だったりするコメントの方が聞きたい。つまり、日本では、『学問をきちんと修めた知識人の意見』なんて、まったく相手にしていないわけだ」

 たしかにそうかも。僕もニュース番組とかで、いわゆる学者が出てきたときは、あくまでも専門的な知識の情報源として話を聞きたいだけで、その人個人の意見を聞きたいなんてまったく思わない。

 いや、それどころか、『学者なんて社会人経験もないし、どうせ庶民的な感覚とずれてるだろう』とちょっと斜めに見る気持ちすらあるかもしれない。

「一方、フランスは違う。フランスには、知識人を尊敬するという文化がある。というのは、フランスにはグランゼコールと呼ばれる大学とは異なるエリート育成機関があり、そこで真のエリートを養成しているからだ」

「フランスの歴代大統領や首相、大企業の経営者の多くはグランゼコールの出身者だったりするし、さらにグランゼコールの中でも特に名門校ともなれば、そこに入って卒業するだけで国の宝として一生お金がもらえて好きな研究が続けられたりする」

「まあ、ようするに、ノーベル賞やフィールズ賞(数学におけるノーベル賞)を取れるレベルの天才ばかりを集めた少数精鋭の超名門エリート学校がフランスにはあるということだ。フーコーは、そういった学校の出身であり、最終的にはその超名門校の教授にまでなっている」

「ちなみに言うと、フランス哲学界のトップ、フーコークラスになると、もはや日本の教授とは扱いが全然違う。たとえば、フーコーは学生を指導するなどといった、研究者にとっては雑務となるような仕事はすべて免除されていた」

「その代わりに彼がやるべきことと言えば、自分の最新の研究成果を市民に向けて発表することである。それだけが彼の義務であり、それ以外の時間は、何をテーマにしてどう研究するかも含めて、完全に自由な裁量が与えられていた。もちろん、教授としての報酬も高額である」

なるほどなあ。ようは、国一番の天才に名誉と時間とお金、さらには発表の場まで与えて、好きな研究に没頭させましょうってことだよな。正直、そこまでの扱いをされる選び抜かれた知識人がいるのだとしたら、多少、難しくてもちゃんと真剣に話を聞いてみたい気になってくる。そりゃあ、フランスで知識人が尊敬されるわけだ。日本でもやればいいのに。