公開処刑が消え、刑務所が誕生。その結果、、、
「さて、そんなフーコーは、構造主義以降の哲学者のひとりとして、人間がどのような構造(システム)に支配されているかの研究を進めていた。その成果のひとつとして発表されたのが、有名な哲学書『監獄の誕生』である」
「ここで言う監獄とは、比喩でもなんでもなく、そのまま『刑務所』のことであるが、この本の中でフーコーは、刑務所というシステムが歴史的にどのように誕生し、それが人類にどのような影響を与えていったかについて、その分析結果を語っている」
「まずフーコーによれば、18世紀頃まで人類は、犯罪者を公開処刑にするという文化を持っていた。しかも、それは犯罪者を車で八つ裂きにしたり、火あぶりにしたりと身体的に残虐な方法での処刑であったという。なぜ、そんな酷い処刑の仕方をするのか? それは、もちろん、見せしめだ。権力者に逆らうことがどれほど罪深いものであるかを民衆に知らしめるためである」
うっかり想像してぞっとしてしまったが、でもそうか、日本も時代劇とかで「市中引き回しの上、打ち首獄門」とかよく言うもんな。
「しかしである。19世紀以降、人類からこうした残酷な公開処刑は消滅していく。そして、代わりに『監獄』すなわち『刑務所』というシステムが誕生する。なぜ、刑務所が生まれたか?表向きには『人道に配慮』といったところだろうか。もしくは『犯罪者にも人権を、更生のチャンスを』と言ったところだろうか」
普通に考えればそうだよな。だって、いくら悪いことをしたからといって、見せしめのためにわざわざ苦しませて殺すなんて野蛮だと思う。
「もちろん、『人道に配慮』というのは善いことである。今更、公開処刑の時代に戻るべきだとは誰も言わないだろう。だが、こうした『人道に配慮』した刑務所の設置によって、我々の社会システムは事実として間違いなく変わり、結果として我々の思考の形式は確実に変更を余儀なくされる」
そう言って、先生は教卓の上に物を置く例のジェスチャーをした。
「つまり、コップが変わったわけだ」
コップが変われば、中の水―僕たちの思考も強制的に変わってしまう。
「まず注目すべきことは、刑務所という存在が我々にどんな意識の変化をもたらしたか。それは『正常と異常』の境界線をはっきりとさせたことだとフーコーは唱える」
先生は、チョークを横に持ち、その腹の部分を黒板に何度もこすりつけてグラデーションのある模様―左側が濃く、右側が薄くなっている四角形を描いた。
「正常と異常、正気と狂気……。古来、これらに明確な境目はなかった。しかし、刑務所ができて以降、いつの間にか、そこにくっきりと境界線が引かれてしまう」
そう言って、先生はグラデーションのある四角形の真ん中に、すっと縦に線を引いた。
「善良な市民と犯罪者。普通の人間と普通ではない人間。境界線がはっきりすれば、我々はどうしてもこっち側、『正常側』でなければならないという思い込みにとらわれるようになる。本来、そんな境界線などなかったにもかかわらずだ」
「そもそも刑務所というのは、誰かを悪人すなわち『社会的に異常な人間』として断定し、その生活を監視して『正常な人間』に矯正する装置であると言える」
「さあ、この微妙な歴史的変化がわかるだろうか。かつては、権力者に逆らった悪人は単純に殺されて終わりであったが、刑務所ができたことで、悪人は人道の名の下に生かされ『正常な人間』に調教されるようになったのだ。つまり、『権力に逆らう人間は排除しなくてはならない』から、『人間は誰しも正常に生きなくてはならない』という意識の変化が起きたのだ。この変化は、人類史においてはつい最近のことなのである」
昔は、今みたいに犯罪者を長期間かけて再教育する経済的余裕なんかなかっただろうし、たしかに最近のことなんだろうな。
次回に続く。