ウォール街で桁外れの利益を出し続ける謎のヘッジファンド「ルネサンス・テクノロジーズ」。創始者のジム・シモンズは、40歳で数学者からトレーダーに転身した。なぜ、素人集団のルネサンスが市場で勝ち続けてきたのか。人間の感情を一切排除したアルゴリズム投資の裏で繰り広げられる、科学者たちの喜怒哀楽のドラマを描いた『最も賢い億万長者者 上巻下巻』(グレゴリー・ザッカーマン著、水谷淳訳)の日本版が刊行された。これを記念して、内容の一部を公開しよう。
MITとカリフォルニア大学バークレー校で数学を学んだシモンズは、ハーバード大学での研究職から、国防分析研究所(IDA)に移り、ソ連の暗号読解に取り組んだ。しかし、ベトナム戦争に関する発言で、同研究所をクビになってしまう。そんなシモンズに、ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校の校長から、数学科を立て直してほしいとの依頼が舞い込む。数学科のトップに立ったシモンズは、有望な若手研究者をスカウトして数学科を拡充させるとともに、チャーン-サイモンズ理論を発表し、幾何学の最高峰ヴェブレン賞を受賞するが、何か物足りなさを感じていた。トレーディングの世界を征服したいとの思いを抑えきれないシモンズは、ついに学問の世界を去った。

「投資手腕がなくても市場を支配できる」と考えた数学者の頭の中Photo: Adobe Stock

特別な才能もないのに
投資の世界に飛び込んだ理由

 1978年初夏、木々が立ち並ぶ広々としたストーニーブルック校のキャンパスを去ってから何週間かたった頃、シモンズはそこから道をたった数キロ下った場所にいた。しかしそこはキャンパスとは天と地ほど違っていた。

 シモンズは、寂れた商店街の奥にある通り沿いのオフィスに座っていた。婦人服店の隣、ピザ屋の2軒隣、平屋建てのちっぽけなストーニーブルック駅から道を渡ったところだ。もともと商店として建てられたそのオフィスには、ベージュ色の壁紙が貼られ、コンピュータの端末が1台だけ置かれ、たびたび途切れる電話線が通っていた。

 窓からは「シープ・パスチャー・ロード(羊牧場通り)」という言い得て妙の名前の道がかろうじて見え、自分が幅広く称賛される立場から人目につかない立場へあっという間に落ちぶれたことを感じさせた。

 40歳の数学者が4つめのキャリアを歩み出して、数百年の歴史を重ねる投資の世界に革命を起こせる見通しなんて高くはなかった。むしろ、何らかの歴史的ブレークスルーよりも、引退のほうに近づいているかのようだった。白髪交じりの髪が乱れ、肩の近くまで伸びていた。少し腹が出ているせいもあって、現代の金融学に乗り遅れた老教授のようにすら見えた。