ウォール街で桁外れの利益を出し続ける謎のヘッジファンド「ルネサンス・テクノロジーズ」。創始者のジム・シモンズは、40歳で数学者からトレーダーに転身した。なぜ、素人集団のルネサンスが市場で勝ち続けてきたのか。人間の感情を一切排除したアルゴリズム投資の裏で繰り広げられる、科学者たちの喜怒哀楽のドラマを描いた『最も賢い億万長者 上巻・下巻』(グレゴリー・ザッカーマン著、水谷淳訳)の日本版刊行を記念して、同書のイントロダクションを公開しよう。
立ちふさがる壁
「分からないのか? 誰も話したがらないぞ」
2017年9月初め、私はマサチューセッツ州ケンブリッジの魚料理のレストランでサラダをつまみながら、ニック・パターソンという名のイギリス人数学者から、彼が以前勤めていた会社、ルネサンス・テクノロジーズのことを聞き出そうとしていた。だが事はそう簡単ではなかった。
私はパターソンに、ルネサンスの創業者ジェームズ・シモンズが金融史上最大の金儲けマシンを作り出した経緯を綴った本を書きたいのだと話した。ルネサンスはあまりに莫大な富を生み出し、シモンズとその仕事仲間たちは、政治、科学、教育、慈善活動の世界ですさまじい影響力を振るった。劇的な社会変革を見越したシモンズは、マーク・ザッカーバーグとその同年代の人たちが保育園を出る前から、アルゴリズム、コンピュータモデル、ビッグデータを活用したのだ。
パターソンはあまり乗り気でなかった。シモンズとその代理人たちからも、さほど手は貸せないと言われていた。ルネサンスの幹部など、シモンズに近い人たちは、電話やメールも返してくれなかった――私が友人だと思っていた人たちですら。競争相手たちもシモンズに釘を刺されていて、会ってはくれなかった。まるで、マフィアのボスには誰も逆らえないかのように。
ルネサンスが社員に、退職後もあまり多くを語らせないよう、30ページにおよぶ鉄壁の秘密保持契約にサインさせていたことを、私は何度も思い知らされた。分かるよ。でも話してくれよ。私は20年ほど『ウォール・ストリート・ジャーナル』で働いていて、駆け引きのノウハウは身につけていた。頑固に抵抗する人でさえ、いずれは振り向いてくれるものだ。そもそも、彼らのことを書いた本を読みたがらない人なんてどこにいるだろう? 彼らとは当然、ジム・シモンズとルネサンス・テクノロジーズのことだ。