光岡自動車創業者・会長の光岡進氏光岡自動車創業者・会長の光岡進氏 Photo by Hiroki Matsumoto

若者を中心とした車離れが進む中、小規模ながら個性的な車を生産する富山県の自動車メーカー、光岡自動車が意気軒高だ。昨年11月に先行予約を開始したスポーツタイプ多目的車(SUV)は当初年間150台の生産予定だったが注文が殺到し、急きょ、生産台数を年間300台に増加。納車まで2年待ちという人気ぶりだ。一部の自動車好きたちに熱烈に支持される同社の創業者である光岡進会長が、「富山の板金屋」が自動車メーカーとなった経緯や独自の経営方針などについて、全3回にわたり語った。(聞き手・構成/ダイヤモンド編集部 松本裕樹)

トラック営業に嫌気し
社長に独立を宣言

 私が光岡自動車の前身である光岡自動車工業を創業したのは1968年2月、私が28歳の時です。

 それまで日野自動車のセールスマンだったのですが、1966年にトヨタと日野自動車が業務提携し、その後、日野自動車は乗用車部門から撤退。私はトラックのセールス部門に配置転換されました。

 しかし、営業のためとはいえ、運送会社の社員たちを飲み屋に連れていって接待するというのが本当に嫌で、結局、3カ月しか我慢できませんでした。

 日野自動車では毎年、年初にその年の目標を書いて社長に提出することになっていました。そこで私は68年1月、「今年こそ光岡自動車工業を設立する」と書きました。いずれは独立しようと、すでに社名も考えていたのです。

 妻子もいるし、なかなか会社を辞める決断はできませんでしたが、社長に伝えたことで後戻りはできなくなりました。

 翌日、社長に呼ばれたので、「明日退職願を出しますので、今月いっぱいで辞めさせてください」って言ってしまいました。こうして独立することになったわけです。

 始めたのは自動車の板金塗装業です。

 しかし、独立早々にトラブルが起きました。