マイクロカー事業が当たるも
道交法改正でどん底に

 一方、私はとにかく車が好きな「車バカ」です。車を改造するのも好きで、「スバル360」という車をオープンのバギー仕様にして河原を走ったりしていました。

 板金塗装業、中古車販売業は順調だったものの、それだけでは飽き足らず、マイクロカーと呼ばれる排気量50cc以下のエンジンが付いた乗り物の生産にまで事業を広げていきました。

 マイクロカーを生産するきっかけも、ある偶然からでした。

 当時、中古車販売事業の仕入れのため、中古車オークション会場がある大阪を頻繁に訪れていたのですが、ある日、目の前を見たことのない小さな車が通ったのです。

 すぐに追いかけていって、「これは何という車か」と聞くと、イタリア製のマイクロカーだという。面白い車なので、当社でも仕入れて販売することにしました。

 ところが、とにかく故障することが多く、本国からの修理部品の調達に苦労しました。そこで、構造が単純なのだから自分たちで造れないかという話になったのです。

 しかし、国内製のマイクロカーなんて見たことはないし、そもそも道路交通法上でどういう扱いなのかもわからない。そこで東京・霞が関の運輸省(現国土交通省)を訪れて担当者と話したところ、排気量50㏄以下なら3輪でも4輪でも原付免許で問題ないことがわかり、生産に着手しました。

 最初に生産したのは車椅子用の4輪車です。車椅子の人でも自分で乗り降りし、運転できる車を造りたいと思ったのです。

 そして、次に出したのが一般向けの3輪車「BUBU501」。

 1982年12月に発表したところ、原付免許で乗れる手軽さが受けて大ヒットしました。ピークには1カ月で220台が売れました。

 そこで銀行から1億6000万円を借金して5000坪の土地を購入して新工場を建設し、年間1万台の生産を計画しました。

BUBU501BUBU501 写真提供:光岡自動車

 ところが「好事魔多し」です。1985年に道路交通法が改正されて、マイクロカーの運転には普通免許が必要となりました。

 これによりマイクロカーの売り上げは10分の1に激減。事業は赤字となったため、工場はいったん閉鎖しました。社員全員に頭を下げ、中古車販売会社や整備工場に異動してもらったものの、結局、社員の半数が辞める事態になってしまいました。