2015年7月30日午後、東京高裁において、「静岡エイプリルフール訴訟」と呼ばれる裁判の判決が下った。「働けるのに働かない」を理由とした生活保護打ち切りに関する本訴訟では、何が争われ、どのような判断が行われたのだろうか?

エイプリルフールのような事件に
常識的な高裁判決が下った

生活保護の高齢傷病者に就労を強いる<br />現実無視の行政指導判決直後、支援者たちの集会に掲げられた「勝訴」の文字。参加者たちは口々に判決を祝福し、Mさん自身・手弁当で支援に携わった弁護士たちや支援者たちの長年の労を労った
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 2015年7月30日午後、東京高裁において、生活保護利用者の「働けるのに働かない」を争点とした訴訟の高裁判決が言い渡された。

 原告であるMさん(70歳)は、63歳だった2009年、現在も居住している静岡市の福祉事務所から、就労するよう指導を受けた。Mさんは就労活動を行ったものの、市の定めた期限の間に就労に至ることができなかった。2009年4月、静岡市は「就労意欲がない」として、Mさんの生活保護を打ち切った。

 Mさんは数ヵ月後、生活保護の利用を再開することができ、現在も生活保護を利用して静岡市内で生活している。しかしMさんは2010年4月、数多くの理解者・支援者の応援のもと、打ち切り処分の撤回と保護を受けられなかった期間の苦痛に対する国家賠償を求めて、静岡地裁に提訴した。2014年10月2日、静岡地裁は、静岡市の「就労意欲がない」とする判断を不当とし、生活保護打ち切り処分の取り消しを求める判決を下した。しかし静岡市は地裁判決を不服として、東京高裁に控訴していた。

 7月30日に言い渡された高裁判決は、地裁判決を全面的に認め、静岡市の主張を退ける内容であった。

「最初、訴訟までするつもりはなかったんです。提訴してから5年、長かったです。イヤになって『やめてしまいたい』と思ったこともありました。でも、周囲に信頼できる人たちがいたから、何とか続けられました。今日、高裁でも勝訴という結果になって……『裁判、やった甲斐があったかなあ』と思っています。でも、静岡市が上告するかもしれませんから、本当に喜べるのは、2週間後ですね」(Mさん)

 この訴訟は、関係者たちから「静岡エイプリルフール訴訟」と呼ばれている。地裁への提訴日が2010年4月1日であったことと、関係者たちの「エイプリルフールのウソのような珍事件」という思いを背負った通称だ。

 2009年のMさんは、「働けない」状態だったのだろうか? それとも静岡市が言うとおり、「働けるのに働かない」状態だったのだろうか?