世界の富裕層たちが日本を訪れる最大の目的になっている「美食」。彼らが次に向かうのは、大都市ではなく「地方」だ。いま、土地の文化と食材が融合した“ローカルガストロノミー”が、世界から熱視線を集めている。話題の書『日本人の9割は知らない 世界の富裕層は日本で何を食べているのか? ―ガストロノミーツーリズム最前線』(柏原光太郎著)から、抜粋・再編集し、日本におけるガストロノミーツーリズム最前線を解説。いま注目されているお店やエリアを紹介していきます。

「なぜここに?」富山県の限界集落に世界の富裕層が殺到する理由Photo: Adobe Stock

フランス帰りのシェフの富山での挑戦

「富山の人にフランス料理を教えたる!」
 20代にフランスの三つ星レストランで修業を積み、帰国後は富山市内の高級リゾートホテルからのお声がけでフランス料理の料理長をまかされた谷口英司さんというシェフがいます。谷口さんは大阪育ちだったこともあり、フランスで修業していたころは流行に敏感なタイプ。当初は「なんでこんな田舎に来るんだ」という思いもあったそうです。

自分がフランスなどで身につけたテクニックや知識を使えば、いいレストランが作れるものだと思い込んでいました」と、当時の思いを、インタビューで話しています。

 ところが富山の自然や食文化に接するうちに、彼の意識は変わりました。パリで修業中に若い料理人たちが自分が生まれ育った地方の文化を自慢していた意味をようやく理解したのです。

 シェフが富山に来た2010年頃は、地方はまだ注目されておらず、秋田のきりたんぽや香川のうどんのようなご当地グルメしかありませんでした。しかし地方の食の豊饒さを知ったシェフは、富山でしか作れない料理のレストランをしたいと思い、2014年にホテル内に「L’evo(レヴォ)」を立ち上げました。食文化は長い時間をかけて育まれた土地の知恵や習慣によって形成されるものだと理解し、富山の歴史、食文化をより深く勉強し、食材だけでなく、器にも富山の作家のものを使うようになったと彼はいいます。

 2017年頃に富山県でも山奥の旧・利賀村(現・南砺市利賀村地区)の人々に出会ったことでその思いはさらに強くなりました。この地域では採れたての山菜をすぐに干したり、塩漬けにしたりします。シェフは最初は「採れたてなら、すぐ天ぷらにしたほうがおいしいのに」と思っていたそうです。しかし豪雪地帯で道路が閉ざされるようなこの場所では保存食が必要なのです。

 こうしたことから谷口シェフの料理は劇的に変化しました。そして富山県内だけでなく、東京や大阪など県外から多くのフーディーが訪れるようになりました。
 しかし、せっかくならもっと自分の思うとおりの料理が作りたい、なかでも山の食材を使いたいと考えたシェフは料理長の職を辞し、2020年12月、人口400人ほど(現在)、観光要素はほとんどない旧・利賀村に新生レヴォを構えましたヨーロッパのオーベルジュ文化を日本に根付かせようと思ったのです。

退路を断つ覚悟で破格の借金。今や屈指の名店へ

 レヴォは、約7500平米の敷地にレストラン棟、コテージ、サウナ棟、パン小屋など6棟を備えたオーベルジュです。これだけの規模の施設をつくるためには、数年前から準備が必要です。オープンしたのは結果的に、コロナ禍まっ只中でした。シェフは今でも「自分は日本一借金を背負っている料理人」と言っているほどで、ご苦労も多かったと思います。

 そもそも、過疎地に大規模なオーベルジュをつくるというのは、相当の覚悟がいったことでしょう。それでも、料理人としての理想を掲げて彼は行動に移しました。そして彼が提供する地元ならではの料理、たとえば、地元の山で獲れた熊肉とシェフ自らが採集した山菜を使った料理や、地元の契約農家に特注したひな鳥を使った品など、究極のガストロノミーを味わえるコース料理が評判となり、今や年間8000人、海外の富裕層だけで年間1000人もが訪れるほどの世界的名店になっているのです。

 レヴォを訪れる世界の富裕層は、次のように語ります。
「地元の食材を地元の人が食べているように食べたい。食事は文化の一部。その土地の人々を理解する手段です。私にとってレストランは、その国の博物館に行くのと同じです」
 海外からはるばる訪れる富裕層は、ガストロノミーツーリズムを心から楽しんでいます。

レヴォを起点に地域経済が活性化

 レヴォの素晴らしいところは、「自分の店だけが繁盛して終わり」ではないところです。
 たとえば、レヴォと取引しているある生産者は、売上が4倍になったそうです。その理由は、店でひな鳥の料理を食べた客が、「この生産者が作るほかのものも食べてみたい」と興味を示すようになったからです。米農家も営んでいたこの生産者は、アメリカの高級寿司店との取引が決定しました。

 また、レヴォで使われている器や食用花、絹と和紙で作ったメニュー表などを作る企業も、レヴォを介して新たなビジネスチャンスを獲得しています。特に、食用花を提供する花農家は取引件数が20倍になり、新たにスタッフ5人を雇用するほどになりました。

 地域の雇用にまで影響を与えているのです。レヴォは地域経済を活性化し、雇用を創出し、さらには「よいものを作れば、それをきちんと評価してくれる人がいる」という自信を地元の方々にもたらすことに寄与しています。

 これだけのことをたった一人で巻き起こすのは、本当に素晴らしいことだと思います。

 ※本記事は、『日本人の9割は知らない 世界の富裕層は日本で何を食べているのか? ―ガストロノミーツーリズム最前線』(柏原光太郎著・ダイヤモンド社刊)より、抜粋・編集したものです。