北京に来ている。数年ぶりの訪問なので、多くの友人や関係者との再会を喜んでいる。どこでも話は自然と最近の日中関係に及ぶ。

 揺れている日中関係に中国国内でも関心を寄せている人が多いことを再確認でき、非常にうれしく思った。だがその一方で、日中交流の伝統がどこかで途切れてしまって、受け継がれていないのでは、と不安に感じる日もあった。ある訪問先で日中間に昔存在していた「LT貿易」の話が出た時、その危惧はさらに高まった。多くの中国人がそのことを知らなかったからだ。

 日中国交正常化がまだ実現されていないだけでなく、かなり敵対的関係にあった時代の1962年、国交がなくてもせめて貿易関係だけでも築こうという両国の意思で、「日中長期総合貿易に関する覚書」という協定が結ばれた。

 中国きっての知日派でのちに中日友好協会の会長を務めた廖承志(リャオ・チョンヂー)氏が中国側の代表として、一方、元通商産業大臣である高碕達之助氏が日本側代表としてその協定に署名し発効させた。その2人の名前の頭文字のLとTをとってその覚書にLT協定、ないしはLT覚書という名を付けた。その覚書に基づいて行われた貿易はLT貿易と呼ばれた。

 半官半民的な貿易形態とは言え、政府保証の融資も利用できるので、最盛期には日中貿易総額の約半分を占めたほどだった。日中間に正式な国交がなかった時代だけに、その民間交流が果たした役割は非常に大きかった。翻って考えるに、当時の日中両国の政治家の知恵は、後人である私たちがいくら敬意を払ってもまだ足りないほど、凄いものだったのだ。

 日中間で自由に貿易が行われる今、LT貿易という固有名詞を知らない日本人と中国人はきっと大勢いることだろう。時代の流れと言えば、それまでのことだが、やはりどこか腑に落ちないところがある。

 日中間の民間交流が歩んできた茨の道をきちんと理解しておかないと、今日のビジネス環境の大事さ、大切さも十分には理解できないはずだ。LT貿易ばかりでなく、日中間の民間交流に並々ならぬ努力を重ねてきた先人たちの功績も私たちは忘れているのではないだろうか。