閉校の年、全生徒が救急救命講習を受け、認定証を手にすることができた

教育の目標は自立であり、他人に貢献すること

――閉校までの残り2年間、何をされましたか。

栗原 地域と連携するプロジェクトも始めました。万引が多いなど、アルバイトも断られるほど評判も悪く、これまで地域にも迷惑を掛けていたからです。

 シャッター商店街に美術部が絵を描いたり、隣接する保育園の園児を文化祭に招待したりと交流を進めていましたが、生徒に社会との接点を持ってもらうため、2日間の職場体験を実現しようと私も地元の事業所を回りました。

 ところが、アルバイトも断られるような状況でしたから反応は芳しくありません。商店街の会長にお願いして会合に出席させてもらい、趣旨を説明しました。なんとか全員の受け入れ先が決まりました。事前学習の効果もあって、いざ実施してみると評判は良かったです。

 動きが始まると先生方にも意欲が湧いてきて、情報科の先生が授業でパワーポイントの使い方を教えた上で、職場体験を通じて得たこと、自分の夢、自分の課題を入れた6枚のスライドをつくるという課題を出してくれました。

――ようやく自分の夢を語る機会が訪れたのですね。

栗原 誰もがより幸せに生きたいと思っています。そのためには自立すること、自分を知ることが求められ、自分の個性や能力をいつか社会に役立てたいと夢につなげます。

 閉校の年、消防署の署長の協力を得て、AED(自動体外式除細動器)と普通救急救命講習を全員が受けました。人の命を助ける側に立ってほしいと思ったのと、ほとんどの生徒は何の資格も持っていなかったのでこれで履歴書に書けるな、と。

 全員が体操着を着て救命講習を受ける場面を見て、生徒との信頼関係ができてきたことを実感しました。着任時は服装がそろうなどなかったことです。先生方の根気強い生徒指導のおかげで、2年で学校の風景が一変しました。地域との連携を読売新聞で記事にしてもらえたのを見て、生徒たちもすごくうれしかったようです。

――わずか3年の間に学校も生徒も変わることができた。こうした経験がその後の小石川や成城での改革にも生きてきたのですね。

栗原 着任前には年17.6%だった中退率が2年間で0.86%と激減しました。最後の年には、進路実現のためのプロジェクトを実行しました。著者から特別に許諾を受けて『グッドラック』(ポプラ社)をコピーしたものを毎朝1ページずつ机の上に置いて、それを読む「朝読書」もその一つです。皆勤する生徒も増えましたし、生まれて初めて一冊の本を読んだという生徒もいました。

 ほとんどの生徒が就職を希望していたので、そのための「好感度アップ」を最後に行い、全員の進路が決まり、着任のときに話した「輝いて閉じる」という有終の美を生徒とともに飾ることができました。

 3月4日の閉校式には地元の人も大勢集まり、サプライズゲストとして登場した写真家のアラーキー(荒木経惟)さんがその模様を撮影し写真集に載せてくれました。翌日からは校舎内の廃棄作業が始まり、3月31日、電気や水道などライフラインを切断し、閉校が完了しました。学校とは何か、教育とは何かを考えた3年間でした。