日野田直彦(ひのだ・なおひこ)
千代田国際中学校校長、武蔵野大学附属千代田高等学院、武蔵野大学中学校・高等学校 中高学園長
1977年生まれ。タイからの帰国子女として同志社国際中学校・高等学校を経て、同志社大学卒業後、馬渕教室(現・ウィルウェイ)で塾講師に。2008年、奈良学園登美ヶ丘中学校・高等学校の立ち上げに参画、14年には校長公募で大阪府立箕面高等学校校長に全国最年少の36歳で就任。18年に武蔵野女子学院中学校・高等学校(現・武蔵野大学中学校・高等学校)に転じて、21年より現職。著書に、『なぜ「偏差値50の公立高校」が世界トップ大学から注目されるようになったのか』(IBCパブリッシング)。
途中から引き継いだ混乱の2年間
大阪府立箕面高校を一躍、国際志向の強い学校に改革した日野田直彦氏は、2018年から浄土真宗本願寺派の学園である武蔵野大学の付属中高の改革に当たることになった。まず、西東京市にある武蔵野女子学院を、19年に武蔵野大学中学校・高等学校と校名変更、19年に中学、20年に高校と共学化を進めた。千代田女学園は16年に武蔵野大学と学校法人が統合し、18年に高校を共学化して武蔵野大学附属千代田高等学院となる一方で、中学校は募集を停止した。前任者が改革途上でいなくなったことを機に、21年からこちらの校長も兼務し、混迷を極める現場と向き合うことになった。
――共学化したこちらにある高校(武蔵野大学附属千代田高等学院)も、学校改革の途中から引き継ぎましたよね。
日野田 2021年は、人生で一番きつい1年間でした。武蔵野と千代田の両方を行き来しながら、経緯が分からないまま、時には長時間電話で怒られたりもしました。
こちらの高校では18年から複数のコース制を導入していましたが、中でも国際バカロレア(IB)コースが大変でした。「このままでは続けられないのでは?」といううわさも聞きました。
――それにしても大変でしたね。
日野田 1月4日の夜中の1時まで本部とやり合って、2人はギリギリでしたが、今年全員がIBのディプロマを取れました。それを報告した説明会で、保護者から拍手をいただき、泣いてしまいました。なかなか全員が合格することはないものですから。
日本で最初のIB会議が開かれたとき、10人ほどのわずかな参加者のうちの1人が私でした。玉川学園の星野あゆみ先生とはその頃からの付き合いですし、IBの事情に詳しい大山智子さんにも側面支援していただきました。
――ところで、国際中学の新入生は男子が多かったそうですが、こちらの高等学院はいかがでしょう。
日野田 全体では女子が7割で男子は3割。理系クラスでも、男子4人に対して女子20人です。そこに中学は急に男子が増えたので、先生方はびっくりしています。
――でもまあ、お姉さん方がかわいがってくれるから(笑)。
日野田 21年に少し多く入れてしまったので、22年はかなり内申点を上げました。5教科で5上げて平均19に。高校には65人が入ってきて、そのうち英検の準2級を持っている子が10人近くいます。
――都立の併願先はどこになるのですか。
日野田 皆が知っているような学校です(笑)。「なんでうちに来るの」と聞きましたが、顔つきが全く違いますね。背筋がピンとして(笑)。
――生徒像がガラッと変わったようですね。
日野田 武蔵野の方は中村好孝先生に校長をお任せして、私は中高の学園長になりました。21年は武蔵野に週3日、千代田に2日でしたが、22年からは武蔵野は1日だけにして、千代田に4日いるようにしたいと考えています。