菊地浩之
東大卒の社員が出世できない!?かつての三井銀行を支配した「2つの学閥」
日本を代表する三井財閥において、かつて苛烈な学閥が存在した。その地位を独占していたのは、慶応義塾と青山学院で、東大卒の社員ですら出世を諦めたほどだ。三井における慶応、青学の学閥について紹介しよう。※本稿は、菊地浩之『財閥と学閥 三菱・三井・住友・安田、エリートの系図』(角川新書)の一部を抜粋・編集したものです。

住友財閥の採用面接で「住友と国家の利益が相反する場合はどちらをとるか」と聞かれたら、何と答えるのが正解か?
日本を代表する財閥のひとつだった住友。現在もグループ企業は、就職先として人気は高いが、かねてより住友は採用面接に異常なこだわりをもっていたという。秀才たちを抱え込んだ、戦前の住友の採用システムとは。※本稿は、菊地浩之『財閥と学閥 三菱・三井・住友・安田、エリートの系図』(角川新書)の一部を抜粋・編集したものです。

「成功は疑ひない」福沢諭吉が確信した「三菱」の発展、根拠となった岩崎弥太郎が店先に施した「ひと工夫」とは?
現在では少なくなったものの、かつて「学閥」による企業の採用は少なからずあった。大学における学閥は強固で、特に慶応義塾大学の同窓会組織である「三田会」は有名だ。三田会と三菱財閥のつながりも強固であるが、その礎を築いた人物がいる。三菱と慶応の歴史を紐解く。※本稿は、菊地浩之『財閥と学閥 三菱・三井・住友・安田、エリートの系図』(角川新書)の一部を抜粋・編集したものです。

第7回
「最後の財閥」「最後の企業集団」と言われる三菱。戦後、GHQは財閥解体に向けて動き出し、財閥本社などの持株会社の解体を命じた。それを受けて三菱は大きく変わっていく。

第6回
「最後の財閥」「最後の企業集団」と言われる三菱。第二次世界大戦後、GHQは財閥解体に動き出した。しかし具体的な手順は決まっておらず、数日の間に三菱、日本政府は奔走した。

第5回
「最後の財閥」「最後の企業集団」と言われる三菱。しかし、第二次世界大戦後、財閥はGHQによって解体された。しかし、それでも三菱は日本最大の企業集団となって確固たるポジションを得た。

第4回
「最後の財閥」「最後の企業集団」と言われる三菱。創業者・岩崎弥太郎の娘や姪と結婚した相手は、後に政財界のトップになり、華麗なる一族となった。その弥太郎を支えた続けたのは弟・弥之助である。弥之助が今の三菱グループの枠組みを作ったのだ。

第3回
「最後の財閥」「最後の企業集団」と言われる三菱。創業者・岩崎弥太郎は土佐藩の地下浪人から日本一の政商に成り上がった。弥太郎の娘や姪と結婚した相手は、後に政財界のトップになり、華麗なる一族となった。

第2回
「最後の財閥」「最後の企業集団」と言われる三菱の社章は、「スリーダイヤ」と俗に呼ばれる。それはどのようにして誕生したのか。さらに、創業者・岩崎弥太郎が教育に熱心だったことは、他の財閥と大きな差を作ることになった。

第1回
三菱グループはしばしば「最後の財閥」「最後の企業集団」と言われる。実は三菱グループの強さの源泉は、戦前の三菱財閥にさかのぼることができる。三菱財閥の創業から現在の三菱グループまでの歴史を明らかにし、個々のグループ企業にも目配りしながら、同グループの特徴や社風にも触れていきたい。
