菊地浩之

経営史家

1963年北海道生まれ。國學院大學経済学部を卒業後、ソフトウェア会社に入社。勤務の傍ら、論文・著作を発表。専門は企業集団、企業系列の研究。2006年、國學院大學博士(経済学)号を取得。著書に、『財閥と学閥 三菱・三井・住友・安田、エリートの系図』『最新版 日本の15大財閥』『織田家臣団の系図』『豊臣家臣団の系図』『徳川家臣団の系図』(いずれも角川新書)、『企業集団の形成と解体』(日本経済評論社)、『日本の地方財閥30家』(平凡社)、『三菱グループの研究』『三井グループの研究』『住友グループの研究』(洋泉社)など多数。

東大卒の社員が出世できない!?かつての三井銀行を支配した「2つの学閥」
菊地浩之
日本を代表する三井財閥において、かつて苛烈な学閥が存在した。その地位を独占していたのは、慶応義塾と青山学院で、東大卒の社員ですら出世を諦めたほどだ。三井における慶応、青学の学閥について紹介しよう。※本稿は、菊地浩之『財閥と学閥 三菱・三井・住友・安田、エリートの系図』(角川新書)の一部を抜粋・編集したものです。
東大卒の社員が出世できない!?かつての三井銀行を支配した「2つの学閥」
住友財閥の採用面接で「住友と国家の利益が相反する場合はどちらをとるか」と聞かれたら、何と答えるのが正解か?
菊地浩之
日本を代表する財閥のひとつだった住友。現在もグループ企業は、就職先として人気は高いが、かねてより住友は採用面接に異常なこだわりをもっていたという。秀才たちを抱え込んだ、戦前の住友の採用システムとは。※本稿は、菊地浩之『財閥と学閥 三菱・三井・住友・安田、エリートの系図』(角川新書)の一部を抜粋・編集したものです。
住友財閥の採用面接で「住友と国家の利益が相反する場合はどちらをとるか」と聞かれたら、何と答えるのが正解か?
「成功は疑ひない」福沢諭吉が確信した「三菱」の発展、根拠となった岩崎弥太郎が店先に施した「ひと工夫」とは?
菊地浩之
現在では少なくなったものの、かつて「学閥」による企業の採用は少なからずあった。大学における学閥は強固で、特に慶応義塾大学の同窓会組織である「三田会」は有名だ。三田会と三菱財閥のつながりも強固であるが、その礎を築いた人物がいる。三菱と慶応の歴史を紐解く。※本稿は、菊地浩之『財閥と学閥 三菱・三井・住友・安田、エリートの系図』(角川新書)の一部を抜粋・編集したものです。
「成功は疑ひない」福沢諭吉が確信した「三菱」の発展、根拠となった岩崎弥太郎が店先に施した「ひと工夫」とは?
第7回
戦後の「三菱財閥解体」、三菱商事もGHQから解散命令を受けた理由
菊地浩之
「最後の財閥」「最後の企業集団」と言われる三菱。戦後、GHQは財閥解体に向けて動き出し、財閥本社などの持株会社の解体を命じた。それを受けて三菱は大きく変わっていく。
戦後の「三菱財閥解体」、三菱商事もGHQから解散命令を受けた理由
第6回
三菱の結束力の根源とは?財閥解体に抵抗した岩崎小弥太の「憤死」騒動
菊地浩之
「最後の財閥」「最後の企業集団」と言われる三菱。第二次世界大戦後、GHQは財閥解体に動き出した。しかし具体的な手順は決まっておらず、数日の間に三菱、日本政府は奔走した。
三菱の結束力の根源とは?財閥解体に抵抗した岩崎小弥太の「憤死」騒動
第5回
三菱グループは、戦後なぜ日本最大の企業集団になったのか
菊地浩之
「最後の財閥」「最後の企業集団」と言われる三菱。しかし、第二次世界大戦後、財閥はGHQによって解体された。しかし、それでも三菱は日本最大の企業集団となって確固たるポジションを得た。
三菱グループは、戦後なぜ日本最大の企業集団になったのか
第4回
三菱グループの枠組みを、岩崎弥太郎の弟・弥之助が作ったと言える理由
菊地浩之
「最後の財閥」「最後の企業集団」と言われる三菱。創業者・岩崎弥太郎の娘や姪と結婚した相手は、後に政財界のトップになり、華麗なる一族となった。その弥太郎を支えた続けたのは弟・弥之助である。弥之助が今の三菱グループの枠組みを作ったのだ。
三菱グループの枠組みを、岩崎弥太郎の弟・弥之助が作ったと言える理由
第3回
三菱財閥の家系図に並ぶ総理大臣や大名華族、華麗なる閨閥とは
菊地浩之
「最後の財閥」「最後の企業集団」と言われる三菱。創業者・岩崎弥太郎は土佐藩の地下浪人から日本一の政商に成り上がった。弥太郎の娘や姪と結婚した相手は、後に政財界のトップになり、華麗なる一族となった。
三菱財閥の家系図に並ぶ総理大臣や大名華族、華麗なる閨閥とは
第2回
三菱の社章はなぜ「スリーダイヤ」?初の東大卒サラリーマンが生まれた理由
菊地浩之
「最後の財閥」「最後の企業集団」と言われる三菱の社章は、「スリーダイヤ」と俗に呼ばれる。それはどのようにして誕生したのか。さらに、創業者・岩崎弥太郎が教育に熱心だったことは、他の財閥と大きな差を作ることになった。
三菱の社章はなぜ「スリーダイヤ」?初の東大卒サラリーマンが生まれた理由
第1回
なぜ三菱財閥が一代で誕生したのか、岩崎弥太郎・土佐藩の地下浪人の「下克上」
菊地浩之
三菱グループはしばしば「最後の財閥」「最後の企業集団」と言われる。実は三菱グループの強さの源泉は、戦前の三菱財閥にさかのぼることができる。三菱財閥の創業から現在の三菱グループまでの歴史を明らかにし、個々のグループ企業にも目配りしながら、同グループの特徴や社風にも触れていきたい。
なぜ三菱財閥が一代で誕生したのか、岩崎弥太郎・土佐藩の地下浪人の「下克上」
新着
業界
学び
特集
書籍
業界
製造業 銀行・証券・金融 保険 建設・不動産 コンサル・士業 商社 運輸・物流 IT・通信 AI・テクノロジー エネルギー 医療・製薬 食品・農業 小売・外食 サービス・エンタメ メディア・広告 スタートアップ・新規事業 教育 財閥・学閥 予測・分析
学び
経営・戦略 マネジメント ビジネス課題 ビジネススキル 営業・マーケティング マネー・投資 相続・節税 年金 キャリア・働き方 受験・子育て 教養