三菱の社章はなぜ「スリーダイヤ」?初の東大卒サラリーマンが生まれた理由Photo:123RF

「最後の財閥」「最後の企業集団」と言われる三菱の社章は、「スリーダイヤ」と俗に呼ばれる。それはどのようにして誕生したのか。さらに、創業者・岩崎弥太郎が教育に熱心だったことは、他の財閥と大きな差を作ることになった。
※本稿は、菊地浩之著『最強組織の実像に迫る 三菱グループの研究』(洋泉社)の一部を再編集したものです。登場する企業名などは2017年5月発行当時のものです。

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スリーダイヤの誕生

 「三菱」という社名は、岩崎家の家紋「三階菱(さんがいびし)」と土佐藩主・山内家の家紋「三ツ柏」を合成して作ったマークに由来している(下図参照)。三階菱は清和源氏の名門・小笠原家の代表紋である(ただし、岩崎家は武田家の子孫を自称している)。

 三菱グループの社長会「三菱金曜会」の直接の結成動機は、商号・商標の管理にあった。それにグループ首脳が従っていたのは、かれら自身の実体験にあった。

 たとえば、三菱銀行(現在の三菱東京UFJ銀行)は三菱商号が使用できず、千代田銀行と名乗っていた時期(1948〜1953)があった。当時、ニューヨーク支店長だった中村俊男(1970年代の頭取、1910~1998)が三菱商号の信用力を述懐している。 

三菱の社章はなぜ「スリーダイヤ」?初の東大卒サラリーマンが生まれた理由著者作成
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