「最後の財閥」「最後の企業集団」と言われる三菱。創業者・岩崎弥太郎は土佐藩の地下浪人から日本一の政商に成り上がった。さらに、弥太郎の娘や姪と結婚した相手は、後に政財界のトップになり、華麗なる一族となった。
※本稿は、菊地浩之著『最強組織の実像に迫る 三菱グループの研究』(洋泉社)の一部を再編集したものです。登場する企業名などは2017年5月発行当時のものです。
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総理大臣や大名華族と結んだ華麗なる閨閥
弥太郎の娘たちは、いずれも将来を嘱望される逸材と結婚した。
弥太郎が二人の総理大臣・加藤高明、幣原喜重郎(1872~1951)を女婿(じょせい)に持っていたことも著名である。その一方、三井家や住友家は大名華族・公家華族を女婿に迎えているが、弥太郎の女婿にそのような事例はなかった。
弥太郎が死去した時、娘たちはまだ幼かったので、子女の結婚は弥太郎の弟の弥之助が選んだと思われる。弥之助は「長女を一介の書生である加藤に嫁がせたので、次女以下も貴族に嫁がせるのは、われらの志ではない。侯爵・伯爵あたりから結婚の申し出を受けたことも度々あったが、全て断った。ひたすら優秀な人材と結婚させたいと思っているのだ」と語っている(『岩崎弥之助伝』)。有望な若手を女婿に選んだ結果、総理大臣との閨閥(けいばつ)ができてしまったということだろう。
さらに弥太郎はこれはと思う人物がいると、妹・さきの娘との結婚をすすめた。