三菱グループは、戦後なぜ日本最大の企業集団になったのかPhoto:PhotoAC

「最後の財閥」「最後の企業集団」と言われる三菱。しかし、第二次世界大戦後、財閥はGHQによって解体された。しかし、それでも三菱は日本最大の企業集団となって確固たるポジションを得た。
※本稿は、菊地浩之著『最強組織の実像に迫る 三菱グループの研究』(洋泉社)の一部を再編集したものです。登場する企業名などは2017年5月発行当時のものです。

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敗戦後の財閥解体、三菱はどうなったか

 戦後、三菱財閥は企業集団・三菱グループに再編された。

 では、どこが違うのか。どう変わったのか。そもそも企業集団とは何か。

 企業集団研究の先駆者・奥村宏氏は、企業集団を定義する指標として次の6つをあげている。すなわち、(1)社長会の結成、(2)株式の相互持合い、(3)都市銀行による系列融資、(4)総合商社による集団内取引、(5)包括的な産業体系、(6)共同投資会社による新規事業進出である。

 財閥と企業集団の最大の違いは、株式所有とその上に立脚する支配構造である。

 戦前の三菱財閥では、三菱本社が三菱商事や三菱重工業などの財閥直系企業の過半数の株式を所有してそれら企業を支配し、さらに財閥家族の岩崎家が、その三菱本社の過半数の株式を所有することによって間接的に財閥直系企業を支配していた。

 ところが、敗戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が主導する財閥解体で、財閥家族は役職を追われ、所有する株式を市場に放出させられた。さらに財閥本社も解体させられた。これにより、財閥家族を頂点とした株式支配関係が寸断された。