住友財閥の採用面接で「住友と国家の利益が相反する場合はどちらをとるか」と聞かれたら、何と答えるのが正解か?写真はイメージです Photo:PIXTA

日本を代表する財閥のひとつだった住友。現在もグループ企業は、就職先として人気は高いが、かねてより住友は採用面接に異常なこだわりをもっていたという。秀才たちを抱え込んだ、戦前の住友の採用システムとは。※本稿は、菊地浩之『財閥と学閥 三菱・三井・住友・安田、エリートの系図』(角川新書)の一部を抜粋・編集したものです。

第三代住友総理事
鈴木馬左也の人材尊重主義

 住友財閥の採用試験がどのように実施されたのか、採用する側、される側それぞれの証言がある。

 まず、採用する側であるが、川田順(編集部注/元住友総本社常務理事)によれば、「住友総本社(合資会社)の理事で人事部長を兼務した私は、新人採用の事務の責任者であった。その頃の採用試験なるものを顧みると、まことに感慨無量だ。大学、高商、その他の専門学校にそれぞれ依頼して、適当な候補者幾人かずつを決めてもらう。一定の日時にそれらの新人達を会社に招き、重役一同で面談する。

 試験といってもなんらむずかしい問題は出さず、ただ首実検と常識的問答を試みるにすぎない。であるから、固くなる必要は毛頭ないのだけれども、たいていの学生は固くなってしまう。ドアを排して入って来る瞬間から緊張している。これは、本当に気の毒であった。可哀想でもあった。学苑で伸び伸びとしていた学生らが、この瞬間から娑婆臭くなるのであった」(『住友回想記』)。

 また、鈴木馬左也(編集部注/第三代住友総理事)の伝記によれば、住友は「大学卒業生採用に当って総理事始め殆んどの重役が揃って親しく面接の上、採用試験に当るのだ。他の会社の如く一人事部長や課長或は秘書役位に銓衡(=選考)を任せて置くのではない。

(中略)東大・商大(現在の一橋大学)の卒業者の採用面接にしても東京だけで彼此一週間余の日数を要する。にも拘らず重役はわざわざ大阪から上京して其その期間、引き続き東京に滞在して専ら採用試験にのみ没頭するのだ。

 或社員が、鈴木(馬左也)さんに、重役達が大半仕事を抛って上京入社採用に当るのは、其間事務が渋滞し、業務に支障を来たし、場合によっては商機を失し、損害をさえ蒙ると文句を云った処、鈴木さんは『私は、仮令一週間仕事を留守にして、そのために事務に差しつかえ住友が損失を受けても、そんなことはかまわない。それは一時の損に過ぎない。

 しかし一人の天下の人材を取り逃がすための損失は永久であり、測り知る可らざるものがある。』と諭された。如何に鈴木さんが人材尊重主義に徹して居られるかがわかるだろう」(『鈴木馬左也』)。