川島 敦
「経営危機だ」と文春砲を被弾、株価8分の1に…不動産ファンド「ケネディクス」元社長がリーマンショックから立ち直れたワケ
2008年9月に発生したリーマン・ショックは世界経済に大きな影響を及ぼしたが、とりわけ金融や不動産業界へのそれは甚大だった。当時、不動産ファンド社長だった川島敦氏も窮地に立たされ、脇目も振らず資金繰りに奔走。折れてしまいそうな彼を支えた仲間からのメッセージとは――。※本稿は、川島敦『100兆円の不良債権をビジネスにした男』(プレジデント社)の一部を抜粋・編集したものです。

不動産ファンド「ケネディクス」元社長が、バブル崩壊直後に「52棟のワケあり物件」を売り抜いた秘策
バブル崩壊によって100兆円もの不良債権が生まれたなかで、不動産ファンドビジネスは急拡大。不動産ファンドマネージャーの川島敦氏が担当したのは、大阪の大規模案件「マッセ・バルク案件」だった。まとめて落札した52棟もの“ワケあり”物件を、彼はいかにして売り抜けたのか?※本稿は、川島敦『100兆円の不良債権をビジネスにした男』(プレジデント社)の一部を抜粋・編集したものです。

不動産ファンド「ケネディクス」元社長が飯のタネにした、バブル崩壊後の日本で生まれた「100兆円の不良債権」とは
1980年代後半からのバブル経済の起点となったプラザ合意後、円が高騰し、日本経済は一時的に円高不況に陥った。そして、政府はこれを打開するため、金融緩和という易き道に逃げた。以降30年間、日本を今なお苦しめ続けるバブル崩壊の本質について、ケネディクス顧問の川島敦氏が解説する。※本稿は、川島敦『100兆円の不良債権をビジネスにした男』(プレジデント社)の一部を抜粋・編集したものです。
