川島 敦

ケネディクス顧問、SMBC信託銀行顧問、日本エスコン社外取締役

1959年東京都生まれ。開成高校を1977年に卒業。東京大学工学部を卒業後。1982年に三菱商事に入社。イラクと香港で建設実務を習得。1990年に安田信託銀行(現・みずほ信託銀行)に移り、不動産関連業務で実績を上げた。1998年にケネディ・ウィルソン・ジャパン(現・ケネディクス)に移籍。2001年に取締役副社長、2007年3月に代表取締役社長に就任。2013年3月代表取締役会長、2019年3月より顧問。ほかにSMBC信託銀行顧問、日本エスコン社外取締役などを務める。著書に、『100兆円の不良債権をビジネスにした男』(プレジデント社)がある。

「経営危機だ」と文春砲を被弾、株価8分の1に…不動産ファンド「ケネディクス」元社長がリーマンショックから立ち直れたワケ
川島 敦
2008年9月に発生したリーマン・ショックは世界経済に大きな影響を及ぼしたが、とりわけ金融や不動産業界へのそれは甚大だった。当時、不動産ファンド社長だった川島敦氏も窮地に立たされ、脇目も振らず資金繰りに奔走。折れてしまいそうな彼を支えた仲間からのメッセージとは――。※本稿は、川島敦『100兆円の不良債権をビジネスにした男』(プレジデント社)の一部を抜粋・編集したものです。
「経営危機だ」と文春砲を被弾、株価8分の1に…不動産ファンド「ケネディクス」元社長がリーマンショックから立ち直れたワケ
不動産ファンド「ケネディクス」元社長が、バブル崩壊直後に「52棟のワケあり物件」を売り抜いた秘策
川島 敦
バブル崩壊によって100兆円もの不良債権が生まれたなかで、不動産ファンドビジネスは急拡大。不動産ファンドマネージャーの川島敦氏が担当したのは、大阪の大規模案件「マッセ・バルク案件」だった。まとめて落札した52棟もの“ワケあり”物件を、彼はいかにして売り抜けたのか?※本稿は、川島敦『100兆円の不良債権をビジネスにした男』(プレジデント社)の一部を抜粋・編集したものです。
不動産ファンド「ケネディクス」元社長が、バブル崩壊直後に「52棟のワケあり物件」を売り抜いた秘策
不動産ファンド「ケネディクス」元社長が飯のタネにした、バブル崩壊後の日本で生まれた「100兆円の不良債権」とは
川島 敦
1980年代後半からのバブル経済の起点となったプラザ合意後、円が高騰し、日本経済は一時的に円高不況に陥った。そして、政府はこれを打開するため、金融緩和という易き道に逃げた。以降30年間、日本を今なお苦しめ続けるバブル崩壊の本質について、ケネディクス顧問の川島敦氏が解説する。※本稿は、川島敦『100兆円の不良債権をビジネスにした男』(プレジデント社)の一部を抜粋・編集したものです。
不動産ファンド「ケネディクス」元社長が飯のタネにした、バブル崩壊後の日本で生まれた「100兆円の不良債権」とは
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