「宗教」は、私たちの心や行動にどう影響をおよぼすか?
およそ100年前、ドイツの高名な社会学者マックス・ウェーバーは、西洋近代を合理化の過程と理解し、「世界の脱魔術化」という表現で規定しました。
じっさい近代になると、西洋では宗教的権威から独立した世俗的な国家が形成され、資本主義経済が社会的に浸透したのです。また、啓蒙精神にもとづいて、宗教的な偏見が取り除かれ、近代科学が発展したことは、今や常識となっています。
そのため、この傾向が続いていけば、やがて宗教の力は弱体化する、と考えられました。こうした理解を受けて、20世紀には、西洋近代を「世俗化の時代」と見なすことが、一般的になりました。
たとえば、アメリカの社会学者ピーター・L・バーガーは、「世俗化」という概念を社会と文化の諸領域が宗教の制度や象徴の支配から離脱するプロセスと定義し、現代社会をこうした世俗化の時代と考えたのです。たしかに、ヨーロッパでは、キリスト教の果たす役割が低下しているのは明らかです。
ところが、21世紀を迎えるころから、こうした世俗化の状況が世界的に転換し始めました。南米やアフリカでは、宗教を信仰する人々が増加しつつあります。またヨーロッパでも、キリスト教信者の割合が低下したとはいえ、逆にイスラム教の信仰者は増えているのです。さらに、アメリカでは、主流派プロテスタントは減少していますが、原理主義的な福音派はむしろ増加傾向にあります。
こうした状況を踏まえたうえで、ドイツの社会学者ウルリッヒ・ベックは次のように明言しています。「21世紀初頭に見られる宗教の回帰現象は、1970年代にいたるまで200年以上にわたってつづいてきた社会通念〔世俗化理論〕を破るものだった」。
異なる宗教との共存をめぐるモデルや、人間にとって宗教とは何であるかを科学的に解明しようとする試みなど、哲学的議論は今後さらに活発化していくはずです。
「地球環境」を私たちは守らなくてはいけないのか?
1970年代以来、地球環境問題が人類にとって重要な課題と認識され、国連をはじめ多くの国や組織で、繰り返し議論されてきました。たとえば、2015年末にフランスで開催されたCOP21でも、20世紀末の「京都議定書」に代わる新たな枠組みが提唱されたことは、ご存じのことでしょう。
こうした「地球環境問題」が語られるとき、いつのまにか「定番話」――世界の生態圏は人間によって破壊され、やがて地球は人間にとっても生存できない環境になる――が形作られるようになりました。そもそも、「定番話」が警告するように、はたして環境破壊によって、人類は滅亡するのでしょうか。
この問題を考えるためには、どうして20世紀後半に、「地球環境問題」がクローズアップされるようになったのか、理解する必要があります。というのも、「地球環境問題」が唱えられるようになったのは、近代社会の変化と密接にかかわっているからです。そして、この変化を捉えることによって、「定番話」とは異なる未来への展望も開かれるのではないでしょうか。
人間中心主義はそもそも「悪」なのか、道徳と切り離した形でプラグマティックに環境を考える態度の必要性など、この領域もまた様々な議論の余地が存在します。
ここまで「IT」「バイオテクノロジー」「資本主義」「宗教」「環境」という5つの問題をなぜ今哲学者が考える必要があるのか、を概観してきました。9/23(金)公開の次回以降は、より具体的に各問題について思索していきたいと思います。