世界の哲学者はいま何を考えているのか――21世紀において進行するIT革命、バイオテクノロジーの進展、宗教への回帰などに現代の哲学者がいかに応答しているのかを解説する哲学者・岡本裕一朗氏による新連載です。いま世界が直面する課題から人類の未来の姿を哲学から考えます。9/9発売の新刊『いま世界の哲学者が考えていること』からそのエッセンスを紹介していきます。第3回は21世紀、ポストモダン以降の哲学の3つの新潮流を概観します。

 ポストモダンに代わる新たな3つの思想

前回まで20世紀の後半には、言語論的転回が積極的に推し進められ、そのうえポストモダンの流行によって、社会構築主義や相対主義が主張されるようになった経緯を概観しました。
これらは大まかにいえば道徳的な「善悪」や、法的な「正義」に関しても普遍的な真理はなく、多様な意見があるにすぎないとされたり、極端な場合には、自然科学的な事柄に関してさえ、多様な解釈があるだけであって、どの説が正しいのかは決定できない、という思想的潮流でした。

しかしながら、21世紀を迎える頃には、ポストモダンの世界的な流行も終息し、「言語論的転回」に代わる新たな思考が、模索されるようになりました。今回はその21世紀における新たな「ポストモダン」以後の3つの思想――(1)自然主義的転回、(2)メディア・技術論的転回、そして(3)実在論的転回について大まかに解説したいと思います。


<1>自然主義的転回

    …ポール・チャーチランド、アンディ・クラークほか

たとえば、アメリカで現在も活発な活動を展開している哲学者、ジョン・サールの発言に注目してみましょう。サールといえば、『言語行為―言語哲学への試論』(1969年)以来、「言語論的転回」の推進者のように見なされていましたが、『マインド 心の哲学』(2004年)において、次のように述べているのです。

20世紀の大部分においては言語の哲学が「第一哲学」であった。哲学の他の分野は言語哲学から派生し、それらの解決も言語哲学の帰結に依存するものとみなされた。しかし、注目の的はいまや言語から心に移った。(中略)いまや心が哲学の中心トピックであり、他の問題─言葉や意味の本性、社会の本性、知識の本性─はすべて、人間の心の性質という、より一般的な問題の特殊例にすぎないと考えておこう。

ここでサールが明示しているのは、「言」の学から「心」の哲学への転換、という変化です。たしかに、20世紀の末頃から、「心の哲学」にかんする文献が、たくさん出版されるようになっています。たとえば、オックスフォード大学出版局から出ている『心の哲学のハンドブック』を手に取れば、最近の活発な状況が分かります。

しかし、一概に「心の哲学」といっても、心をどう理解するかが問題です。今のところ、一義的な理論が確立しているわけではありませんが、どんな立場であろうと、最近の認知科学、脳科学、情報科学、生命科学などの成果を取り込んでいるのは間違いありません。

そのため、こうした変化を称して、「認知科学的転回」と表現することもあります。あるいは、この傾向の研究は、心をいわば自然科学的に研究するため、「自然主義的転回」と呼ばれることもあります。

<2>メディア・技術論的転回
    …ベルナール・スティグレール、ジュビレ・クレーマーほか

ポスト「言語論的転回」は、自然科学や認知科学にもとづいた「心の哲学」を提唱するだけではありません。そこで、これ以外のポスト「言語論的転回」の動きも、確認しておくことにしましょう。

たとえば、フランスのダニエル・ブーニューは、レジス・ドブレとともに「メディオロジー」という学問を提唱していますが、その学問の意義を次のように述べています。

記号論的─言語論的転回の後に、それを修正して語用論的転回が続くのだが、その後でメディオロジー的転回がこの二つの間で、発話行為の因子と意味をなすことの条件とを結びつけ、補完する役目を果たします。

ここで想定されているのは、三段階(1.言語論的転回 2.語用論的転回 3.メディオロジー的転回)ですが、大きな流れとしては、「言語論的転回」から「メディオロジー的転回」へと理解できます。

メディオロジーというのは、あまり聞きなれない言葉かもしれませんが、コミュニケーションが行なわれるときの、物質的・技術的な媒体を問題にする学問のことです。そこでこれを、「メディア・技術論的転回」と呼ぶことにしましょう。