絶対的貧困状態、「まだ死んでない」という状態では、先進国での社会的人間としての生活とは言えない。

「人間は、他の人とコミュニケートし、会話をし、葬式があれば香典を、慶事があればお祝いを贈るという社会的関係の中で生きています。もちろん、大切なのは、心の通い合いです。でも、そのためにも最低限の交友費用は必要です」(白木さん)

 交友費用が捻出できなくなったら?

「その人は、社会的人間ではなくなります。生活保護が削減される中、交友費用を捻出することが難しくなって、社会的なつながりから背を向けて孤立していく方、たくさんいらっしゃいます。食べるものが減ったという方もいらっしゃるのですが、それよりも、社会的なつながりの部分への影響が大きいです。高齢の方は、特にその傾向が強い印象です」(白木さん)

香典を持っていけないから
親しかった人の葬式に出席できなかった

 具体的には?

「高齢の生活保護の方からは、『お香典が持っていけないから、親しかった方のお葬式に行けなかった』というお話を伺うことが少なくありません。香典を贈ることは、その人との間にあった社会的なつながりに、亡くなったことで『けじめ』をつける行為です。それができないと、ぽっかり穴が空いた気持ちにもなるのだと思います……ぜひ、『もし、自分が同じ立場になったら?』と想像してみていただきたいと思います。高齢期になると、インターネットやSNSの普及などの社会の変化に対応するのも難しくなります。『メールでお悔やみを述べればいいじゃないか』とはいきません。その中での『香典を贈れない』が、どういうことなのか」(白木さん)

 50を過ぎたばかり、10代からICT業界のハシリの仕事をしていた私は、70代・80代になっても、認知症にならない限りは、まだプログラムも書いている「コンピュータおばあちゃん」になっていそうだ。お金がなければ、「香典持っていけなくて、ごめんね」とSNSでお別れするのも自然なことだろう。そうではない高齢者にとっての「葬式」「墓石」「香典」といったものの意味は、想像できるようで、想像しきれない。生活保護で暮らすことについても、近い経験はあっても、それそのものの経験はない。想像できるようなできないような、共感できるようなできないような……生活保護を経験していない人々の多くが、私と同様に、そういう状態にあるだろう。