「憎悪」とは「愛情」の一種である

 昔から、しばしば語られる「愛情」についての格言がある。

 「愛情」の反意語は、「憎悪」ではない。
 「愛情」の反意語は、「無関心」である。

 この格言は、まさに真実であろう。

 我々が、誰かに対する「愛情」を失うとき、その相手に対する「関心」を失い、「興味」を失い、その存在そのものも「忘却」してしまう。むしろ、「憎悪」とは、形を変えた「愛情」の一種であるとも言える。昔から語られる、「可愛さ余って、憎さ百倍」という言葉は、その「愛憎」の機微を示している言葉であろう。

 そして、日本において古くから語られてきた

 「縁」
 「袖振り合うも、多生の縁」

 という言葉は、人生で巡り会った人との「関係」に深い意味を感じ取り、その「関係」を大切にするという精神の宿った言葉であり、最も日本的で深みのある「他者への愛情」の在り方とも言える。

 そして、「他者への愛情」を、「関係を絶たぬこと」と捉える思想は、不和や不信、反目や反発、対立や衝突によって、人間同士の心がぶつかり、離れたとき、それでも、そこに、「将来の和解の余地」を残す「しなやかな叡智」でもある。

 では、なぜ、「将来の和解の余地」を残すことが大切なのか?