だが、残念ながら彼らは恥じ入ってなどいない。それどころか、地中海難民の問題を解決できたかのような外観を必死でつくろうとした。この問題を実際に管理するための措置はそっちのけだ。あるときは、難民を誘引する原因になっているとして、南地中海で転覆寸前の密航船の救援活動を打ち切った。ところが、それでも海を渡る難民が減らないとわかると、救援活動を再開する一方で、海軍にリビアの密航業者を取り締まらせるという突拍子もない作戦を打ち出した。当然ながら、これも失敗に終わった。
政治家は対策に躍起になる一方で、ヨーロッパが歓迎しようがしまいが難民はやってくる、という現実を無視しつづけた。だから、難民の流入を食い止められない以上、その流れを管理する必要があることに気づかなかった。中東から来る人向けに大規模な第三国定住システムを立ち上げて、急ピッチで動かしていれば、多くの人はそれを信じて、危険な海の旅に出ずに中東で自分の番を待っただろう。そうすれば、ヨーロッパへの難民流入はもっと秩序だてて管理できたはずだ。トルコ政府も、ヨーロッパに出発しようとする人たちに労働許可を与えるなどして(※トルコは2016年1月、シリア人に労働許可の申請を認めた)、第三国定住の順番が回ってくるのをトルコで待つよう説得したかもしれない。
しかし少なくとも2015年の時点で、この種の措置が取られたことは一度もなく、多くの人は唯一の現実的な選択肢(つまりギリシャに行くこと)を取らざるをえなかった。難民たちには中東にとどまるべき理由がなかったし、中東諸国には難民が出て行くのを引き止めるべき理由がなかった。そしてヨーロッパには彼らがやってくるのを止める方法がなかった。大混乱が起きるのは当然だった。
その混乱が最悪の結果となって表れたのが、2015年11月のパリ同時多発テロ事件だった。実行犯9人のうち2人は、おそらくその1か月前にボートでギリシャに到着したことが明らかになったのだ。一部のコメンテーターや政治家は、難民流入がヨーロッパを危険にさらしているとして、難民を完全に締め出すべきだとパニック気味に訴えた。
こうした被害妄想は理解できるし、予測もできたが、実のところ理にかなっていない。
第1に、そうした反応はテロリストの思うつぼだ。欧米の基本理念が崩壊した決定的な証拠とみなされ、イスラム国(ISIS)の勧誘に利用されるだろう。
第2に、ヨーロッパが門戸を閉ざしたくても、現実としてそんなことは不可能だ。ヨーロッパはよくも悪くも、「ストップ・ザ・ボート」政策を実行するオーストラリアとは違うのだ〔「ストップ・ザ・ボート」はオーストラリアの難民追い返し政策〕。オーストラリアと、同国行きの船の多くが出発するインドネシアは何百キロも離れているが、トルコの西岸からヨーロッパの東端までは約8キロしかない。
トルコからギリシャまでの海の旅には安全上の懸念がある。その懸念を小さくするには、前述のとおり、相当数の難民に合法的で秩序だった定住を認めるしかない。こうした措置が取られていれば、エーゲ海を越える人はもっと少なかっただろうし、実際にヨーロッパに来た人は身元を確認できて、管理しやすくなっていただろう。しかしこうしたビジョンを事前に持っていた政治家は皆無だった。それどころか、自分たちの怠慢を隠すために、「ヨーロッパ社会が崩壊する」という不安を煽った。実際には彼らの怠慢こそが、大混乱を生み出していくのだが。
ヨーロッパが手をこまねいている間に、海を越える難民は記録的な数に達し、記録的な数の犠牲者が生まれつづけた。そもそもボートに乗るまでに、ほとんどの人たちは現代版『オデュッセイア』とも呼ぶべき苦難の道を歩んできた。
多くの現代人にとって、旅行は気軽にできる癒やしの経験になったが、難民たちにとっては違う。あるときは歩き、あるときは定員オーバーの木造船の船倉で、またあるときはピックアップトラックの荷台で、サハラ砂漠やバルカン半島や地中海を越える。その旅は、アイネアスやオデュッセウスら古代の英雄の旅に匹敵する壮大なものだ。
実際、両者の間に共通点はある。アイネアスとオデュッセウスも現代の難民の多くも、中東の戦争を逃れるために旅に出た。古代ギリシャの海で旅人を誘惑して破滅させる妖精セイレーンは、現代なら難民たちに空約束をする密航業者だ。そして、古代ギリシャで旅人を襲う怪物キュクロプスは、現代の乱暴な国境警備隊員だ。ヨーロッパの基礎となる神話がつくられてから3000年たった今、現代の旅人たちは、よくも悪くも今後長きにわたりヨーロッパに影響を与える新しい物語を紡いでいる。