3大陸17か国を難民と同じ目線で歩く

 本書は、この現代の旅人たちの素顔に迫る。彼らはなぜヨーロッパを目指すのか。どんな道をたどってくるのか。密航業者と沿岸警備隊はどんな役割を果たすのか。旅人たちに食べ物を与えるボランティア、宿を提供するホテル経営者、そして門戸を閉ざす国境警備隊員はどんな人たちなのか。現実から目をそらす政治家は何をしているのか。

 本書は、3大陸17か国での出会いやインタビューに基づき、地中海を越えるルート、サハラ砂漠を越えるルート(援助職員たちはこの砂漠を「リビアの第2の海」と呼ぶ)、そしてヨーロッパを縦断するルートをレポートする。それは、ベルベル人の運び屋が営む劣悪な環境の待機所、シチリアの港、西ヨーロッパの鉄道、そしてバルカン半島の道なき道で私が見聞きしたことの記録だ。その過程で、ヨーロッパの対応を批判し、よりよいと思われる対策を提案したい。この危機はこれから何年も何らかの形で続くだろう。本書で私は、それが前代未聞のピークに達した2015年という年に何が起き、そこから何を学べるかを述べたいと思う。

 本書には、私の個人的な思いも少しばかり混じっている。難民危機がその年のヨーロッパ最大のニュースになるとは誰も思いもしなかった2015年初め、ガーディアン紙の上司は、私を同紙初の移民担当記者にした。その肩書きのおかげで、私はほとんどの人よりも難民危機を広く深く目撃することができた。あるときなど、1週間のうちにサハラ砂漠と地中海、さらにはハンガリー国境を取材した。一つの国境を越えるために、1300人が溺死する危険をおかしていたとき、私は1週間で九つの国境を越えたこともある。難民たちと一緒に歩いていて、私自身が難民と間違われて、思わぬ経験をしたこともある。

 しかし何よりも本書は、ハーシム・スーキという1人のシリア人の物語だ。本書は、ハーシムの旅と、難民危機全般の解説を、ほぼ1章おきに織り込んだ構成になっている。

ハーシムの家族。(左から)ハーシム、ミラード、モハメド、ウサマ、妻のハイアム Photo by Sima Diab

 なぜハーシムなのか。彼は自由を求める戦士でも、スーパーヒーローでもない、普通のシリア人だ。しかしだからこそ、私はハーシムの物語を伝えたいと思った。それはごく普通の人の物語であり、私たちの誰もがいつかたどるかもしれない道のりなのだ。

 ハーシムが吐瀉物にまみれ、寒さに震えていたその晩は、すでに3年を超えていた彼の旅オデッセイに新たに加わった屈辱的経験にすぎない。大柄で温かい笑顔の持ち主のハーシムは40歳だが、白髪が目立つぶん、実際よりも高齢に見える。彼がダマスカスを出たのは2012年4月のこと。自宅は政府軍に吹き飛ばされ、残ったのはハーシムのポケットにある鍵だけになった。

 ハーシムはいつも、遠く離れたエジプトに残してきた3人の子供たち、ウサマ、モハメド、ミラードのことを思っている。彼がヨーロッパを目指すのは、子供たちが同じ道をたどらなくていいようにするためだ。ヨーロッパに到達して、さらにスウェーデンまで行くことができれば、3人の息子と妻ハイアムを合法的に呼び寄せることができる。

 故郷を破壊されて、自分の夢と希望は失われたと、ハーシムは思っている。でも子供たちは違う。「私は自分の命よりも大きなもの、もっと大きな夢のために命の危険をおかすんだ」と、ハーシムはエジプトを出発する前に言った。「失敗するなら、私1人で失敗したほうがいい。でも、うまくいけば、私は3人の子供たちの夢を叶えられるかもしれない。子供たち、そして孫たちの夢を」

 ハーシムがとくに考えるのは、長男ウサマのことだった。エジプトを出発した2015年4月15日は、ウサマの誕生日だった。ウサマにとって14歳の最初の日は、父親の涙で始まったのだ。ハーシムは、もうすぐ出発しなければいけないことをウサマに詫びると、家を出た。もう二度と会えないかもしれない、と思いながら。