業績不振に陥っているアパレル大手、三陽商会を率いてきた杉浦昌彦氏が1月1日に社長職を引責辞任した。引き継いだ岩田功新社長は、100年先を見据えた経営計画を練ると意気込むが、社内では新戦略への期待よりも、間もなく決まるとみられている取締役人事に希望と不安が渦巻く。(「週刊ダイヤモンド」編集部 新井美江子)

意外に短気なところがあり、社員から恐れられているといわれる岩田功新社長。バーバリーを失った三陽商会の将来に光は差すか Photo by Mieko Arai

 心機一転、新たなスタートを切れたといえるのか、はたまた終わりの始まりとなるのか──。

 1月1日、2017年の年明けとともに三陽商会の杉浦昌彦氏(63歳)が社長の座から退いた。

 15年6月末に英バーバリー社とのライセンス契約が終了し、三陽商会は窮地に追い込まれている。16年12月期の売上高は14年12月期から37%も減少して700億円に沈む他、68億円の営業赤字、95億円の最終赤字という連結決算開始以来、最大の損失を計上する見込みだ。

 同社は業績不振を受け、16年7月には進行中の中期5カ年経営計画も取り下げている。社長交代は、新計画を策定するただ中の16年末に突如発表されたことだった。杉浦氏の事実上の引責辞任である。

 社内に大きな驚きはなかった。というのも杉浦氏は、ブランドを取り仕切る事業本部長という要の職を14年7月に佐久間睦取締役に譲っていた。ここ1年ほどは体調も崩しがちだったとされる。

 そもそも創業以来初の希望退職者を募った13年や、バーバリーとのライセンス契約終了を発表した14年にも、経営陣の引責辞任はうわさされていたのだ。いまさら騒ぐようなことではなかっただろう。

 後を継いだ岩田功社長(57歳)は新経営計画を「100年先を見据えたものにする」と鼻息は荒い。が、商品企画や販売などの現場を中心に社内からはため息が漏れる。

 期待されたほど社長が若返らなかった上、トップラインの引き上げが必要なときだというのに、現場に明るい幹部に社長のバトンが渡らなかったからだ。

 岩田社長は入社後、百貨店営業やコートの企画部門を経験した。とはいえ長く歩んできたのは経営企画畑だ。「数字を見ながらブランドの廃止や店舗の縮小を決めるのは得意だけど、あくまでも“内勤の人”。ブランドをつくったり商品政策を講じたり、顧客に接したりする現場の経験は豊富じゃない」と同社幹部は解説してみせる。

 実際、縮小均衡から脱却するには現場の知見が不可欠だ。