このままでは、国そのものが極めて苦しい戦いを強いられることになるかもしれない。少しずつでも変えていかないと、経済全体として、国全体として、負けるのは間違いない戦いになる。

 実はそこに気づいていた人たちがいた。だからこそ日本も、国を挙げ、「間接金融から直接金融へ」「貯蓄から投資へ」というスローガンを打ち出していったのである。

日本にもあった金融自由化への動き

 アメリカが、もはや国ではリスクを負うのが大きすぎる、と考えたように、日本もやがて同じ問題に直面し、同じリスクを意識し始めた。1990年代後半のことだ。

 「ものすごい問題意識があったんです。国がリスクを背負いきれないとはどういうことか。失敗の尻ぬぐいを税金でカバーしなければならなくなる、ということです。このままでは、リスクとともに、とんでもない借金を背負わなければならなくなるかもしれない。そういう恐怖感が、当時の政治家にはちゃんとあったんです」

 稀少な個人のお金を集め、それを一気に有望産業に、価値を生みそうなところに投資していく一点張りは、間違いなく戦後の日本の飛躍に貢献した。それは、わずか30年ほどで日本を経済一流の国にすることに成功した。だが、環境が激しく変化していく中で、同じやり方が通用するわけではない。日本は変わらなければならなかったのだ。もっと早い段階で。実はドイツも同じ問題に気づき、直接金融へと舵を切っていた。

 1980年代、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と世界から賞賛されたとき、実はあのときに次の時代に向けて国家モデルを変えることが必要だったと松本さんは言う。

 「日本型の間接金融の仕組みは、鉄鋼や機械産業といった規格大量生産の産業に傾斜配分しようという目的でつくられた仕組みなんです。だから、価値観が多様化し、少量多品種が求められている現代にはもう合っていなかった。特定の少ない人数でお金の行き先を決めるのではなく、市場の参加者をもっともっと増やし、大勢の人でお金の行き先を決める。そうしないと、変化の激しい時代においては、正しいお金の使い方、より正しいお金の使い方はできない、ということです。そういう問題意識が出始めていたんです」