ビジネスでも起きる「サンクコストの呪い」

坪井賢一(つぼい・けんいち)
ダイヤモンド社取締役、論説委員。1954年生まれ、早稲田大学政治経済学部卒業。78年にダイヤモンド社入社。「週刊ダイヤモンド」編集部に配属後、初めて経済学の専門書を読み始める。編集長などを経て現職。桐蔭横浜大学非常勤講師、早稲田大学政治経済学部招聘講師。主な著書に『複雑系の選択』(共著、1997年)、『めちゃくちゃわかるよ!金融』(2009年)、『改訂4版めちゃくちゃわかるよ!経済学』(2012年)、『これならわかるよ!経済思想史』(2015年)、『シュンペーターは何度でもよみがえる』(電子書籍、2016年)(以上ダイヤモンド社刊)など。最新刊は『会社に入る前に知っておきたい これだけ経済学』

  会社の経営やビジネスでも同じことが頻繁に起きる。たとえば大手流通会社の取締役会が傘下の不採算スーパーを10店ほど整理しようと考える。具体的には撤退だ。ところが、10店の利害関係者(ステークホルダー)は反対する。おおむね「これまでの投資額と苦労した時間をどうするのか。まだ利益を出す戦略はあるはずで、撤退は時期尚早」という意見が出てくるだろう。このようにサンクコストにとらわれることをサンクコストの呪いという。だれしもとらわれる発想だ。

 このスーパーの場合、「これまでの投資額と時間」がサンクコストである。10店舗すべてが連続して赤字で、黒字に転じるきっかけをつかめない場合、サンクコストはきれいさっぱりと忘れなければならない。こだわっていると身動きがとれず、赤字が続くことになる。

 経営判断が難しいのは、撤退と同時に次の経営戦略を発表しなければならないからだ。グループ全体で黒字の場合、思い切った戦略を打ち出しにくい。こういうとき、だいたい株価は下がる。投資家は将来の利益を予測して投資するので、サンクコストの呪いにかけられ、身動きのとれなくなった企業からは逃げ出してしまう。

 経営者は、株主の離反、つまり株価の下落に追い立てられて結局は不採算店舗を閉店する羽目になる。しかし、その時点になると株価はあまり上がらないだろう。いちはやくサンクコストを忘れて次の手を打つ会社の株価は上がることになる。

 経営者はわかってはいるけれど、サンクコストをきっぱりと忘れて次の手を打つことがなかなかできない。これがサンクコストの恐ろしいところだ。少額ですらこだわるのが人間なのに、大企業の巨額な投資となればなおさらである。事業を選択して経営資源(生産要素)を集中させる経営者が株式市場で評価されるのはそのためだ。

 もちろん、「サンクコストをとっとと忘れよう」といっても、やみくもに忘れるべきではない。考慮すべきポイントは時と場合による。ただ、少なくとも「サンクコストは忘れるもの」とする経済学思考は覚えておくべきだ。また、サンクコスト以外にも、生活や仕事に生かせる経済学思考は多数ある。社会人ならば、基本的なものだけでもおさえておきたい。拙著『会社に入る前に知っておきたい これだけ経済学』では、ビジネスマンとして役立つ最低限の経済学の知識をまとめている。新入社員はもちろん、経済学をこれまで学んでこなかった人たちにも参考になるはずだ。