「人に任せられない人は、仕事ができない」とよく言われるが、本当なのだろうか。元・週刊ダイヤモンド編集長で、『会社に入る前に知っておきたい これだけ経済学』の著者・坪井賢一氏に、経済学の視点からこの通説について解説してもらった。

生産性を高める「比較優位」の思考法

坪井賢一(つぼい・けんいち)
ダイヤモンド社取締役、論説委員。 1954年生まれ、早稲田大学政治経済学部卒業。78年にダイヤモンド社入社。「週刊ダイヤモンド」編集部に配属後、初めて経済学の専門書を読み始める。編集長などを経て現職。桐蔭横浜大学非常勤講師、早稲田大学政治経済学部招聘講師。主な著書に『複雑系の選択』(共著、1997年)、『めちゃくちゃわかるよ!金融』(2009年)、『改訂4版めちゃくちゃわかるよ!経済学』(2012年)、『これならわかるよ!経済思想史』(2015年)、『シュンペーターは何度でもよみがえる』(電子書籍、2016年)(以上ダイヤモンド社刊)など。 最新刊は『会社に入る前に知っておきたい これだけ経済学』

 人に仕事を任せられない、全部自分でやってしまう……そんな人は「仕事ができない」「労働生産性が低い」とよく言われる。実はこれ、経済学的にも正しい。経済学には「比較優位の原理」という言葉がある。比較優位の原理とは、労働生産性の高い財に特化して交易することが相互に利益となることを証明した理論だ。つまり、得意な分野を見極め、生産性を高めるための考え方である。国や会社から個人のレベルにまで使える思考法だ。

 比較優位の原理は、イギリスの経済学者デイヴィッド・リカード(1772~1823)が、1817年に出版した著書で明らかにしたものだ。リカードは、イギリスとポルトガルの貿易を例にとって議論を進める。ポイントは労働生産性の比較だ。次の式によれば、2者を比較して、分母の労働投入量が少ないほうが、同じ産出量の場合は労働生産性が高いことになる。

労働生産性=産出量÷労働投入量

 リカードは、イギリスとポルトガルのワイン、毛織物の貿易で比較優位を説明した。まず、両国のワインと毛織物の労働生産性を検討する。1年間で一定量のワインと毛織物の生産に必要な両国の労働者数は、以下の通りだ。

イギリス:毛織物=100人、ワイン=120人
ポルトガル:毛織物=90人、ワイン=80人

 産出量をすべて100とすると、双方の労働生産性は以下のようになる。

◆イギリス
毛織物 100÷100=1
ワイン 100÷120=0.83

◆ポルトガル
毛織物 100÷90=1.11
ワイン 100÷80=1.25

 このとき、ポルトガルが毛織物の生産を増やすとすると、その分、ワイン生産の労働量を減らさなければならない。しかしそれでは、ワインの労働生産性が毛織物より高いので、ワインを生産すれば得られる利益を逃すことになる。このように、ある行動を選択すると失われる、他の選択可能な行動の最大利益を機会費用という。法律用語では、逸失利益(本来得られるべきだったのに、得られなくなった利益)というが、こちらのほうがわかりやすい。

 ポルトガルでは、毛織物の生産を増やせば増やすほどワインの逸失利益が増大する。毛織物の自国生産にこだわってワインの機会費用を忘れてはいけない、ということだ。イギリスは毛織物の労働生産性のほうが高いから、ワイン生産を増やそうとすると、毛織物に投じている労働量を減らす結果となり、毛織物に大きな逸失利益が出る。

 したがって、ポルトガルはワインに、イギリスは毛織物に比較優位があることになる。これがリカードの解説だ。こうしてポルトガルとイギリスがそれぞれ特意技に特化して交易すると、両国全体の利益が増加することになる。