予想に反して頼りない話しか聞くことが出来ず、幸一は更に問いを重ねた。
「たしか、以前は嘱託社員として三栄木材にいたこともある、と仰ってましたね」
「そうなんだ。たしかあれは1989年、例の天安門事件があった年に、我が社は上海市木材進出口公司と補償貿易契約を結んだんだよ。日本から機械設備を輸出し、その代価として、その設備で作った商品を輸入するという方法だ」
「16年前の中国とですか、けっこうギャンブルですね」
「その当時、私はまだ銀行勤めをしていたんだよ。親父に……会長に呼び戻されたのは15年前だから、当時の詳しいことは知らないんだが、結果的に、会社はそれでかなりの利益を上げたんだ。いまだに会長は、その昔話を何度も持ち出してきて、俺の経営判断は間違いなかったと自慢話を聞かされるけどね」
「その時に、伊藤さんが嘱託社員として上海にいらしたわけですね」
伊藤という謎の人物に話を戻そうと幸一が試みる。
「そう。経済開放したとはいえ、当時まだ未開発の上海に留学していた変わり者の彼を、会長が引っ張ってきたんだ。補償貿易先の工場に張り付いて監視役をやってもらった。彼が真面目に仕事をしてくれたお蔭で会社も儲かったが、3年の補償貿易契約が満了して一段落した時に、彼を正社員として日本へ呼び戻そうと打診したが、断られてね」
どこかで聞いたような話だと、幸一は苦笑いした。
「それで、伊藤さんは中国に残られたんですか?」
「ああ。彼は中国を離れたくないと言ってね。結局それが正解だったわけさ。上海市木材進出口公司との人脈から東北の黒竜江省や吉林省、それに雲南省の林業局などにパイプを拡げて、ナラ、タモ、ニレなどの主要な広葉樹をはじめ、雲杉(スプルース)や鉄杉(ヘムロック)といった針葉樹、果てはミャンマーから密輸で入ってくるチークやカリンまでを一手に扱うようになったんだ。
まるでブームのように中国製の集成材やフローリングが日本へ大挙して流れ込んできた10年ほど前には、日本の主だった木材業者はもちろん、大手商社も彼の元に列を成して詣でたものさ。まあ、それでも義理堅い男でね。我が社にはいつも最優先で、どこよりも安く回してくれた。大した顧問料を払っているわけじゃないが、今でも色々と気に掛けてくれているんだ」
「そうですか……。しかし、時流に乗ったとは言え、どうやってそんなコネクションを築けたんでしょうか」
幸一が素朴な疑問を口にしたが、岩本はここぞとばかりに話に乗ってきた。
「そこだよ、さすがに君はいいところに目が行くね。実は、会長が一度だけ聞いたことがあるそうなんだが……。
彼は、当時の林業局幹部たちの裏金作りの窓口になっていたそうだよ。最近では中国も国営企業の民営化が進んでオープンになってきているが、当時は、木材資源も主だった工場も、林業局を始めとする政府機関で管理されていた。そうなると商売をする相手はお役人だ。高く売れる客よりも、自分のポケットに実入りが大きい相手を優遇する。
上海市木材進出口公司の幹部から頼まれてその窓口を作ってやると、信用できる筋としてあちこちの国営公司や林業局の幹部連中から裏金のプールを次々と依頼されるようになったらしい。おのずから彼を通さないと物を売らないという仕組みが出来上がったわけさ」