岩本会長が大連へやって来た。1泊して大連瑞豊木業を表敬訪問した岩本会長は、工場と幸一の仕事振りに謝意を表し、劉清義と親しく会談して合作の成功を賞賛し合った。そして、昨夜のフライトで二人して鄭州へ入ったのだった。
岩本会長は70歳を超えている。息子である長身の岩本社長と違って、160センチに満たない背丈だが、自ら木材を担いで会社の創成期を過ごしただけあってがっしりした体躯をしており、老人の弛みは見られない。健啖家ぶりを発揮して、先ほどから幾度もビュッフェコーナーと席を行き来して、幸一の倍以上の食事を胃に収めていた。
「君のお父さんとは、偉くなられてから、なかなか会える機会がないが、お変わりないかね?」
食事に一段落つけた岩本会長が、紅茶の入ったカップを口に運びながら尋ねる。
「はあ、元気のようです」
「しかし、幸一君も立派になったねえ。初めてお父さんと一緒に会社へ来た時には青白い学生だったが、今じゃ一人前の材木屋の顔をしている」
「恐れ入ります。これも社長はじめ、みなさんのご指導のおかげです」
頭が切れるタイプの息子とは違って、飄々と人を包み込みながらも人物をしっかり値踏みしているような岩本会長の前で、幸一は言葉を選びながら当たり障りなく応対した。
「中国での仕事は大変だろう。君にも苦労をかけるねえ」
「いいえ、私は毎日工場で検品しているだけです。何かトラブルや交渉ごとがあると、上海から伊藤さんが飛んできて、あっという間に解決されます。あの方はすごいですねえ」
語尾の「すごいですねえ」が、幾分投げやりな口調になり目を閉じてしまったことを、老練な岩本会長は見過ごさなかった。
「なんだ、幸一君は、伊藤君が気に喰わないのかい?」
一瞬で見透かされて、幸一は焦った。
「いや、そんなことはありません」
否定してはみたが、誤魔化すことは諦めて素直に話すことにした。
「なんというか、あの人は掴みどころがないような気がしてしまうんです。いつも冷静で感情を表に出されないし……。中国で暮らし、中国で成功している。役人への賄賂の筋道や裏社会にも詳しくて、広い人脈を持っている。だけど、言葉の端々には、この国に対する愛着がないような気がするんですよ……。それと、伊藤さんのほうが私を嫌っているのかな、と思うこともありました」
一気に吐き出しつつ、幸一はカラオケを歌った時のことを思い出していた。
「なるほど、掴みどころがないか、そうかもしれない……。彼の闇は、彼にしか判らんだろう」