「闇、ですか……?」

 幸一は訳がわからず鸚鵡返しに尋ねた。

「昔、彼を嘱託社員として採用したのは私なんだ。あの頃は、彼もまだ若かったな。そう、今の君とよく似ているよ。実直な男だった」

 実直、今の伊藤氏にそぐわない言葉だと、幸一は違和感を覚えた。岩本会長はそのまま口を閉ざしてしまったので、幸一は問い続けることを憚った。

 約束通り8時に河南富順木制品公司の車が迎えに来て、二人は市内から南へ1時間ほどの工場へと向かった。総経理の沙氏が社屋の前で出迎え、笑顔で握手を求めてくれた。

「伊藤先生から連絡を受けてお待ちしておりました。さあどうぞ」

 富順木制品公司は、桐のスノコや収納箱を生産し日本のホームセンター向けに輸出している会社で、桐の原材料を豊富に抱えているそうだ。沙総経理が丸太土場へと案内する。そこには少なく見ても1000本以上の桐丸太が地面に横たわっていた。

「この中から厚板が取れる丸太を探すのも大変ですねえ」

 そう言って岩本会長と顔を見合わせていると、沙総経理が幸一の肩を叩いた。

「伊藤先生から指示がありました。厚み20センチ以上の盤木が取れる丸太ということですので、径級(丸太の直径)が60センチ以上の直材だけを選別して分けておきました」

「それはありがたい」

 喜んで幸一が通訳すると、岩本会長は頷きながら呟いた。

「さすが、伊藤君の仕事には抜かりがない」

 今朝の会話のこともあり、幸一は少し顔を赤らめながら沙総経理に選別してある丸太への案内を乞うた。選ばれた200本ほどの丸太は、どれも素性の良い物ばかりだった。

「使える丸太があれば、製材の指示を丸太の木口に書いて下さい」

 沙総経理は、幸一へ数本のチョークを渡して検品を委ねた。岩本会長は現場仕事に活き活きとして若返ったようだ。右手にチョーク、左手にメジャーを持ち、幸一を助手に丸太の間を飛び回って、次々にマークを付けていった。沙総経理も傍らに立って見守っていたが、そこへ事務所から一人の社員が駆け足でやってきて呼び掛けた。

「総経理、あの女が押し掛けてきました」

「あの女って……上海から来たのか?」

 慌てた様子の社員を押し留めて、沙総経理が幸一たちへ声を掛ける。

「すみません、ちょっと用事ができたので、事務所へ戻ります」