介護している人より先に死ぬのが怖い
【橋中】昨年、寝たきりだった母を見送り、ようやくこうやって、外に出られるようになりました。家を離れるには、仕事という理由づけが必要でした。今はホテルで誰にも起こされずに寝られますし、自分が食べたいものを食べたいときに食べられます。
【落合】誰かの食事を気にしないで、自由に食べられる時間って貴重なんですよね。
【橋中】みんなの食事の世話をしたあとは、空腹感が薄らいでしまい、結局、食べそこなってしまうんです。
【落合】ラジオで話したけど、風邪を引くのが怖かったんです。私は風邪で済むけど、母が肺炎になってしまったらどうしようと。寒い地方に講演に行ったとき、ノドを守るためにマフラーをして出たつもりだったの。ところが、ステージに上がって、始めようとしたら、前のほうの方が妙な顔をしている。
【橋中】えっ、どうしてですか。
【落合】ふと気づいたら、マフラーではなく、レッグウォーマーを巻いていた(笑)。「それは何なの?」と聞かれて、仕方がないから「今、これが流行っているのよ」とジョークで(苦笑)。落ち込むのは嫌だから、そう言うしかなかった。
【橋中】恥ずかしながら私も、髪の寝ぐせを直さないまま、目やにをつけたまま、出勤したことがあります。
【落合】そう、自分じゃわからない。飛行機の時間に遅れそうですごく急いでいたとき、ワイドパンツを履こうとして、一方に両方の足を入れちゃって。で、歩き出すと転ぶわけです。私は何をやっているのと笑ったあと、泣きたくなる。身だしなみを整える。こんな基本的なことが、どうして自分の人生から消えちゃったのだろうと。
【橋中】セルフネグレクト(自己放任)になっちゃうんですよね。
【落合】でも、そこで泣くと自分が崩れそうで、何が何だかわからないまま、走っていた。「疲れた」と言うのは母に失礼に思えて、「大丈夫よ」と。
【橋中】私も自分を守るのに必死でした。
【落合】新聞に連載していた介護日誌を読んでくれていた友だちに、久しぶりに会うと、「心配していたけど元気そうじゃない。安心した」と言われる。元気に見えるのは大成功! なわけ。でも、一方でそう言われると、「じつは大変なのよ。介護をやってないあなたにはわからないだろうけど」って妙にねじれて。気持ちのアップダウンが激しかったですね。
【橋中】そのアップダウンの中、バランスを取るきっかけは、何だったんでしょう。
【落合】バランスなんか取れてなかったと思います。崩しっぱなしのまま走った7年間でしたね。今はもう、70代でしょう。介護が60代の半ばで始まっていたら倒れていた。あの頃はまだ50代だったし、健康だからできました。身体が弱かったり、病気を抱えていたら、やれなかったな。だから、いわゆる“老老介護”のご家庭がとても気になります。
【橋中】体力は必要ですね。20代に本格的な介護を始めた私でさえ、大変でしたから。
【落合】最も怖かったのは、私が母より先に死ぬことでした。健康にはものすごく気をつけていて、ちょっと調子が悪いとすぐ病院に行って。なぜかというと、母の子どもとしてのプロは、私しかいないわけです。いろいろな人の支えがあり、助けてもらったけど、母の性格や、何を心地いいと思い、何を屈辱と感じるかは、私が最もよく知っている。介護が必要な母に、屈辱を感じさせたくなかったんです。
【橋中】ボロボロになりながら、ここで倒れちゃいけないと自分を奮い立たせて。死にたいけど死ねない。私が死んだら、誰かが何とかしてくれるんじゃないかという考えが、一瞬よぎったり…。ずっと思っているわけではなくて。
【落合】パーフェクトじゃないけど、母を身近で知っているのは私だから。母より先に死ねない。変な言い方だけど、死ぬ自由さえないのかと思うほど追いつめられていました。