ある日、突然やってくる介護。私たちはどう向き合い、どう乗り切っていくべきなのか。ともに介護を経験されている、作家の落合恵子さんと橋中今日子さんに、介護から学んだこと、これからの介護の課題について語っていただきました。落合さんは、エッセイ(『母に歌う子守唄〜わたしの介護日記』『同 その後』)で母親を介護した7年間をつづり、橋中さんは、認知症の祖母、重度身体障害の母、知的障害の弟の3人を21年間1人で介護した経験をベースに、このたび『がんばらない介護』を上梓しました。 (2017.3.2クレヨンハウスにて 構成・文:立野井一恵)
15歳から母のメンタルをサポート
落合恵子(おちあい・けいこ)
1945年栃木県宇都宮生まれ。執筆と並行して、子どもの本の専門店、女性の本の専門店、オーガニックレストラン等を主宰。2016年12月に40周年を迎えた。総合育児雑誌「月刊クーヨン」、オーガニックマガジン「いいね」発行人。また、16年夏にはオーガニックコットンを素材とした洋服「Ms.crayonhouse」をデザインし、販売している。社会構造的に「声が小さい側」に追いやられた「声」をテーマに執筆。最近の主な著書は、『てんつく怒髪』(岩波書店)、『おとなの始末』(集英社新書)、『「わたし」は「わたし」になっていく』(東京新聞出版)、『質問 老いることはいやですか?』(朝日新聞出版)ほか、絵本の翻訳など多数。「さようなら原発1000万人アクション」「戦争をさせない1000人委員会」呼びかけ人。
【落合】今回のご本は発刊前で、残念ながらまだ拝読していませんが、ラジオ番組(NHKラジオ第1「お便りラジオ~介護に向き合う私からあなたへ~」2016.12.23放送)でお会いして、介護の現場には橋中さんのような方が必要だと感じました。だから、改めてお話したいなと思って。
【橋中】ありがとうございます。
【落合】お母様、お祖母様、弟さん。若いころからずっと1人で介護なさってきたんですよね。大変だったでしょう。
【橋中】いま振り返れば15歳の時から母のサポートをしていたんですね。母はメンタルが不安定な人だったんです。家族の問題に早くから向き合ってきました。
【落合】自分の将来のために学び、交友関係を広げる時期なのに、なぜ私だけが…と感じるときもあったのでは?
【橋中】正直、どうして私がという思いはありました。でも、一方で自分の役目だという気持ちもあったんですね。3人きょうだいの真ん中で、姉は進学校に行く頭のよい自慢の娘。弟は知的障害があるものの、愛されるキャラクター。私に対しては無関心だったんです。それが家族の中で役割をもらえた。高校生のころから、社会福祉を学んで、困っている人たちを助けられる立場になれればと漠然と考えていました。
【落合】家庭環境が将来の指針になったんですね。でも、周囲に言えないつらさもおありだったでしょう。
【橋中】そうですね。母が心を病んだのは、弟が障害を持って生まれたのがきっかけだったと思います。そんな家庭の事情を打ち明けられず、まわりにわかってもらえないという孤独感はありました。福祉の大学に進んだものの、同級生の家族に介護やケアが必要な人はほんの一握りです。友達や仲間は楽しく学び、遊んでいるのに、自分は家に帰らないといけない。やっぱり普通の生活とは違いましたね。
【落合】15歳の時から…。しかも、このあと本格的な介護がやってくるのですね。その、早すぎる介護体験が今のお仕事につながっているのですね。
【橋中】今、やりたいのは、ヤングケアラーと呼ばれる人たちのサポートです。人生の始まりを楽しく謳歌すべき時期なのに、介護に時間を取られている子どもたちがたくさんいる。学校を卒業して、社会人として活躍する時間まで奪われています。家族という閉じた環境の中に隠れている問題を、社会に出していきたい。私が関わっていきたい部分ですね。