メインである高教授の講演が終わり質疑応答が始まったが、手を上げるのは政府の意向に沿って環境保護と経済性といった記事でも書くつもりであろう国内の新聞記者たちばかりで、ほかの来場者である政府関係者や木材業界の招待客はおとなしくしている。
散会後、三々五々出口へと歩む人々とは反対に、隆嗣は演壇脇の椅子に腰掛ける高教授のもとへ、幸一を伴って歩み寄った。
「お久しぶりです、高教授。お誘いありがとうございます、興味深い演説でした」
隆嗣が手を差し出す。
「あら伊藤先生、本当にお久しぶり。来ていただけたんですね」
高教授は、隆嗣の手を両手で包んで堅く握手してくれた。
「もちろん。色々とお世話になった高教授からのお誘いならば、どこへでも駆けつけますよ」
「色男にそんなことを言われると、こんなおばあちゃんでもときめいてしまうわ」
貫禄で受け応える彼女は、紫色の夏物ジャケットさえも落ち着いて見せている。
「こちらは日本の木材業界の若手で、山中君といいます。勉強のために連れてきました」
幸一も頭を下げながら握手の手を伸ばす。
「山中と申します。教授の講演は大変参考になりました」
「あらあら、日本の木材業界は中国語がお上手な色男ばかりなのね」
微笑みながら応えた高教授が、隆嗣へと視線を戻した。
「実は、あなたにお会いしたいとおっしゃる方がいらしてね。正直言いますと、その方に頼まれて、招待させていただいたの」
意外な話に、隆嗣の顔が怪訝な色に染まる。
「誰ですか?」
すると、人影が少なくなった会場へと高教授が目を移し、最前列の席に座ったままでいる背広姿の男に向かって小さく手を振った。立ち上がってこちらに歩んでくる紳士は、隆嗣と同じ40歳を過ぎたくらいか。中国の中年男性としては珍しく痩せているが、胸を張ってゆっくりとした足取りには、自信の深さが感じられる。
「好久不見了(久しぶり)」
隆嗣に向かって呼びかけるやや甲高い声、その面長な顔の薄い眉や小さい一重の目、大きな口と高い鼻梁などを観察した隆嗣は、皺を取り除いた顔を想像して19年前の一人の男に思い当たり、驚きの声を上げた。
「李傑か……」
いつも鎧に覆われている隆嗣の表情が驚きと動揺に染められるのを見て戸惑った幸一は、二人の男がじっと見詰めあう様を黙って見守った。