商用のため先に日本へ戻っていた慶子は、大連事務所の整理に目処をつけて昨日帰国した幸一を出迎えるために、成田空港へと向かった。そこには、幸一の家族も姿を見せていた。
「休みだったから、暇つぶしで来たんですよ」と笑顔で言った幸一の父は、折角だからと慶子を夕食へ誘ってくれた。おとなしい母親の気配りと快活な妹、そして言葉少なに見守る父親という、家族の当たり前の温もりに接し、かつて引きこもりだったという幸一の告白を思い起こした慶子は、忘れていた心の置き所を見た思いがした。
「シンガポールの大学を出たのに、材木屋で働いているそうだね」
洋介の尋問は続く。マンションデベロッパーとしては、木材業界は数多ある下請け業者の一つにしか見えていないのだろう、最初から見下している。
「はい、名古屋の三栄木材という会社で仕事をしておりますが、このたび大連駐在の任を解かれることになりました」
「それでは、日本へ戻るということか……」
洋介の横柄な口振りに気圧された幸一は、懸命に堪えながら答えた。
「まだわかりません。正直言いますと、会社に残るか、それとも、これを機に会社を離れて中国で仕事をしようかと、悩んでいるところなんです。実は……」
幸一の話が終わらぬうちに、洋介が声を荒げた。
「君は自分の身の振り方も決めかねているのに、私へ挨拶に来たというのかね。話にならん……。私は先に帰る」
席を立った父を、慶子が押し留めようとする。
「待って、父さん。落ち着いて……。昼食を一緒にする約束じゃない」
「お前たちだけで行けばいいだろう」
そう言い捨てて、洋介は構わずに歩き出した。
慌てて立ち上がった幸一が後を追おうとしたが、その腕を掴んだ慶子が首を振った。
「ああいう人なの、昔からね。止めても無駄よ」
小さくなっていく洋介の後ろ姿を見送りながら、幸一は椅子に座り直した。
「ごめんなさい、嫌な思いをさせて。昔から短気な人だったけど、最近ひどくなっているみたい。些細なことですぐに怒り出すのよ」
「とんでもない、お父さんが言われる通りだ。自分の身の振り方も決めていない、そんな立場のままで会おうとした僕が悪いんだ」
うなだれる幸一に、慶子はあえて明るく誘った。
「お腹すいたわ、美味しいものを食べに行きましょうよ」