普通の本は書籍が出来上がると編集者の仕事も一段落するものです。ところが『もしドラ』は刊行後が忙しかった。1年以上担当編集者は、マーケティングに奔走します。第3回目では、『もしドラ』プロジェクトが立ち上がり100万部を目指して動き出します。
「もしドラ」の略称は、もともと作業段階でつけていたもの。
ツイッターで一気に広がりました。
――刊行は2009年12月。「もしドラ」の場合、本が出来上がってからの方が忙しかった?
加藤 そうですね。編集にもかなり時間をかけましたが、結果的にその何倍もマーケティングに費やしていますね。
――最初はどんな仕掛けを?
加藤 初版は1万部だったので、会社としても特別大掛かりな仕掛けをしたということはありません。ただ、ちょうど「もしドラ」が売れ出した2010年の1月頃は、ツイッターが流行り始めた頃でした。僕もツイッターをやっていたので、本のマーケティングを本格的にためしてみようと思いました。最初の頃はツイッターで「ドラッカー」とか「マネジメント」で検索してみると、「もしドラ」の感想を書いてくれている人がちらほらいました。まだ「もしドラ」という略称も定着していなかった頃です。
――その頃はどんな呼ばれ方をしていた?
加藤 略称は社内でもまちまちで、「もしドラ」以外にも「女子ドラ」「女子高生ドラッカー」「JKドラッカー」とか、たくさんの呼び名がありました。ツイッターでも「この長い名前はなんて言えばいいんだ?」みたいなツイートがたくさんあるわけです。だから僕の個人アカウント(@sadaaki)で「ご愛読ありがとうございます。公式略称は『もしドラ』です」といったツイートをずっとやっていました。面白いことに、しばらくすると「公式略称は『もしドラ』らしいよ」といったツイートが僕と関係ないところで広がり始めるようになりました。発売から数ヵ月は、タイトルやカバーの話題が多かったです。
――では、最初に「もしドラ」と言い出したのは加藤君?
加藤 じつは僕は本の作成中から言ってたんですよ。僕は編集しているから、この本について印刷所やデザイナーさん、営業部などとしばしば話し合う必要があります。その際にいちいち長いタイトルを言ってられませんから、なんとなく「もしドラ」と言うようになりました。それをツイッターで広めるようにして、2010年の2月くらいから雑誌や新聞の取材も来るようになります。すると、メディアの人もこの長い書名は見出しに入らないので(笑)、「もしドラ」を使ってくれました。それがまたツイッターなどのネット上で言及されて広まって、定着していったという感じです。
2010年の年末には流行語大賞の候補にもノミネートされたんだからすごいですよね。本が売れ始めてからも首都圏の電車のドア貼りステッカーなどもやりましたが、「萌え」のイラストが電車に貼られると、ツイッターで多くの人がつぶやいてくれます。そういうツイートをリツイートしたり細かなことはいろいろしていました。