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昨年、サントリーホールディングスで10年ぶりに創業家出身者がトップに就任する“大政奉還”があった。創業120年超の歴史を誇る日本屈指の同族企業、サントリーの足跡をダイヤモンドの厳選記事を基にひもといていく。連載『ダイヤモンドで読み解く企業興亡史【サントリー編】』の本稿では、「週刊ダイヤモンド」1993年2月27日号の記事「曲り角 サントリーの研究 ビール撤退をだれも言わない体質の問題」を紹介する。サントリーが63年に参入したビール事業は約30年もの月日をかけたものの、黒字化はおろか、「独り負け」の苦境にあった。ただ、佐治敬三会長をはじめとする幹部陣はビール事業からの撤退は全否定していた。記事では、直近10年の低迷やマーケティング力の弱体化の要因となったとみられる“体質”を指摘。有利子負債の増加など財務面での変調も明かしながら、撤退の声すら上がらないことに疑問を呈している。(ダイヤモンド編集部)
サントリーがビールで「独り負け」
スーパードライの登場も逆風に
来る2月27日、サントリーは大阪のマイドーム大阪で、ビール事業の決起大会を行う。参加者は社員のみ約1000人。全国に散らばる全社員の5人に1人が集まる。結集した社員を前に、ビール事業に携わる営業、生産、宣伝の若手社員が、今年のビール商戦に向かう意気込みを伝える。ビール事業の決起大会は初めての試みだ。
「厳しい環境にあることは認識している」(佐治信忠副社長)。サントリーの危機意識の表れであるが、実際、同社のビール事業の危うさは、精神的にどうこうするというレベルでは済まないところに来ている。
例えば売り上げシェアは1987年に9.6%だったものが下げ続け、92年は7.2%になった。特に最近2年間は、市場全体が3.6%増(91年)、2.7%増(92年)と伸びている中で、同社は1.0%減(91年)、3.4%減(92年)と売上数量を落としている。数を減らしているのは、ビール大手4社の中で、サントリーだけだ。
「元の数量が少ないのだから、業界の平均以上の成長を達成し、売り上げシェアを伸ばすことは他社よりも容易なはず」。鳥井信一郎社長は、3年前の社長就任時から、こう言ってきたのだが、現実は上位3社との力の差を見せつけられるかたちとなってしまった。
そして、売り上げ以上に厳しいのが、その収益である。
サントリーのビール事業は今年で30周年を迎えるが、過去29年間、事業として黒字化したのは85年の1回きり。「新規参入者として、他3社がやっていない新しいことをやってきた。じりじりと売り上げを伸ばし、ようやく収支トントンとなったところで、突然、嵐に見舞われた」(中田尚文専務取締役)。
嵐とは、87年のアサヒスーパードライの出現だ。これで、ビール市場の競争は一変した。売り上げシェアの変化は周知の通り、アサヒはキリンのシェアを10%以上奪い取ったわけだが、それは、眠れる獅子キリンを揺り起こす結果となり、競争は売り上げシェアの変化以上に激しいものとなったのだ。
それまでは独禁法に抵触する恐れがあって、売り上げシェアを伸ばすわけにはいかなかったキリンは、「殿様商売の典型だったが、ドライ戦争以来、営業マンの態度が変わり、必死にビールを売るようになった」(酒問屋店主)。
大手ビール4社の宣伝広告費はその後の5年間で約2倍になり、販売管理費も約1.5倍に膨らんだ。
「週刊ダイヤモンド」1993年2月27日号
サントリーのビール事業も同様に、宣伝広告費は急増した。しかし、売上高はこの5年間微増だから、宣伝・広告費の増加分はそのままコストの上昇となる。92年には、300人のビール専門の営業部隊を新設しているため、人件費負担も大きくなっている。
そして、結局、現在のビール事業の単年度赤字は「100億~150億円弱」(佐治副社長)と、黒字化への道は大きく遠のいてしまった。
泣きっ面に蜂とでもいおうかサントリーのビール事業のジリ貧に追い打ちをかけるように顕在化したのが、バドワイザー輸入代理店契約の解約の動きだった。







