告白と誘惑の大きな差
「告白」と「誘惑」の違いは何か?
それは、単なる言葉の羅列で満足か、きらめく行動を次々とやってのけるかに尽きます。
「好きです」と告白されても、続く具体的な行動への誘いや約束がなければ、自分語りを聞かされただけです。
ごはんかイベントか何かに誘ってほしい、誘いたい、誘ってもらえる雰囲気をつくっちゃえ、誘っちゃう、となればGOですよね。
私が恐れる「公開告白大会 in English」とは下記のようなもの。
私は日本が好きです、理由は3つあります。
1つ、日本はおもてなしの心があります。東京オリンピックはおもてなしが評価されてゲットできました。
2つ、日本は長い伝統と歴史があります。今後も若い世代がこれを守っていかねばなりません。
3つ、日本は平和を愛する国です。
日本は子どもが夜遅く塾からひとりで帰宅しても事件が起きないほど極めて安全です。
以上の理由から私は日本が好きです。
こうなってしまうと、だからどうした、という話です。
一般論を並べられても人は感動=誘惑されませんよね。
しかもこれは、
私は健太が好きです、理由は3つあります。
1つ、健太は見た目がカッコいいからです。特に気に入っているのは顔と身長です。
2つ、健太はやさしいからです。私が宿題で困っているといつも助けてくれます。
3つ、健太は将来性がありそうだからです。決断力があるので社長になれると思います。
以上の理由から私は健太が好きです。
と公衆の面前で自分語りをさせている罰ゲームと変わりません。
こんなことを10代の青春まっさかりの若者にさせても意味がありません。
おそらく、いまどきの彼らは、クールな日本語や写真や動画や音楽やスタンプを駆使して、LINEでもっと具体的に愛を示したり、約束を成立させたり、Instagramでガンガン自己主張していることでしょう。
なぜなら、そっちはやっていて楽しいのですから。
英語学習なら、教育の名の下に何をやってもいいのか。
やり方が時代にズレていてもいいのか。
こっぱずかしいことを生徒にやらせてもいいのか。
大人の都合で昭和を引きずって踏襲していてもいいのか。
いや、ダメだと思います。