やらせメール問題が発生したのは九州電力ですが、福島第一原発の事故で揺れる東京電力の原子力部門も震災前から「専門化した仕事にひそむ危険性」を内在しており、事故をきっかけに危険が顕在化してしまったといっていいでしょう。
自らの技術への過信や絶対視、外部の原子力の専門家、地震や津波の専門家の意見や指摘に耳を傾けない頑なな姿勢。その慢心から生まれた非常時の混乱した対応。本来であればトップマネジメントがこれら原子力部門の専門家集団が内包する危険性を認識し、改善を促していくべきところですが、東電の歴代の経営陣にはその危険性の認識すらなかったのかもしれません。
東電は、なぜ顧客目線を失ったか
東京電力の経営上の問題点は数多く指摘されていますが、最も根本的な問題点もドラッカーの言葉から浮かび上がってきます。
ドラッカーは『現代の経営』の中で、企業の目的について「企業の目的として有効な定義は一つしかない。すなわち、顧客の創造である」と述べています。確かに一般的にどんな企業でも顧客の創造を目的に、マーケティングやイノベーションに日々注力しています。顧客を創造することがいかにたいへんなことかは、ビジネスに携わる人間であれば、身にしみて理解していることではないでしょうか。
ところが電力会社は地域独占企業であり、極端に言えば、顧客を創造する必要がありません。一部ではオール電化住宅などの開発や広告、営業活動もあったでしょうが、基本的には地域の中での電力需要をほぼ自動的にすべて取り込むことができる体制にあります。つまり企業の目的であり、企業が一番頭を悩ます問題であり、その実現過程で企業全体を鍛えていく“顧客の創造”をせずに何十年間も経営を続けてきたのです。
もちろん地域独占を維持してきたのは国の政策ですから、顧客創造の必要がない状況をすべて電力会社の責任にすることはできません。ただ、そのような状態で長い年月を過ごしてきたことが、東電の経営体制に悪影響を与えてきたことは間違いないでしょう(なお、一時は東電も電力の段階的な自由化に前向きな姿勢を示していたことを付言しておきます)。