このとき、浩美さんは「自分はもう実験動物のサルのような存在なんだ、これからの人生で、人間として扱われないんだ」と確信したという。それでも浩美さんは「退院したい」と訴え続け、3ヵ月で退院したのだが、行き先は両親の家しかなかった。職業生活を継続することも、もっと学びたいのに学ぶこともできなくなった浩美さんは、摂食障害を悪化させていった。

 やがて、家にある食物をすべて食べ尽くすほどの過食状態となった浩美さんは、両親によって「依存症の人々のための支援施設」を名乗る四国の施設に送り込まれ、生活保護で暮らし始めた。それが施設の方針だったからだ。

 就労することは、依存症の回復に対して有害な場合がある。ストレスや疲労感が溜まれば、解消したくなるのが人間の自然の摂理だ。もともとアルコールに依存していた人なら、スーパーやコンビニで日常生活のための買い物をするついでに、うっかり酒に手を出すこともある。

 このため、依存症を専門とする良心的な施設の多くで、「充分に回復するまでは生活保護で、就労はしても控えめに」という方針が採られている。浩美さんの入所した施設も、そこだけは同じだった。

小遣いは1日わずか90円、
医療が必要でも受けられない

 浩美さんの入所していた施設は、典型的な「貧困ビジネス」であった。生活保護費は施設が全額預かり、8畳程度の部屋に2段ベッドが3つの「住」と、1人1日の予算が約100円という「食」を提供していたが、その生活保護の受給者本人である入所者に対しては、1日90円の小遣いしか渡されなかった。缶ジュースを1本買うことも、古本屋で本を1冊買うことも難しい。靴や服が破れても買い替えられない。もちろん、電車にも乗れない。経済的に軟禁していたようなものである。

 施設側は、入所者が遠くに行く機会、第三者と接触する機会をつくらないようにしていた。円満な関係にある近親者が危篤でも、施設に入所している本人に知らされることはなかった。帰省させたら、二度と戻ってこない可能性があるからだ。