「グローバル加速 vs 国内重視」、あるいは
「高齢者重視 vs 若者重視」も対立軸になり得る
以上の他にも、グローバル経済が日に日に進展する中で、グローバル指向をさらに加速していくのか、あるいは国内要因をそれ以上に重視するのか(すなわちグローバル化の流れに抵抗するのか)といった視点も大きな対立軸になると考える。
要するに、第3の開国に踏み切るのかどうかという問題である。人間の長い歴史を見ると、一般に開国は成長をもたらし、鎖国は停滞をもたらすことが知られている。わが国の例で述べれば、室町時代・安土桃山時代が開国期であり、江戸時代が鎖国期であった。
安土桃山時代は世界通貨であった銀の産出量の増大と相まって、わが国はGDPで見ると世界5大強国の一つという位置を占めていた。それが江戸時代の末期になると、国は貧しくなり、成人の平均身長・体重が、有史上もっとも低くて軽い時代へと変貌してしまったのである。明治維新は徳川体制・鎖国250年間の遅れを取り戻す運動ではなかったか。
このように長いスパンで物事を考えれば、たとえさまざまな軋轢が生じても、グローバル化を加速する以外にわが国が生きていく道はないと思われる。
また、わが国は少子高齢化の速度・深度が最も先行している課題先進国でもある。このような状況下で、高齢者と若者、どちらに軸足を置いた政策運営を行うかも、大きな争点として取り上げられて然るべきであろう。たとえば限られた社会保障財源の分配を、年金や医療等、高齢者により手厚く配分するのか、それとも前回のコラムで述べたように、子ども・子育て支援により積み増すかといった議論は、全国民をあげてもっと真剣に検討されるべきである。
このように、競うべき政策の骨太で有為な対立軸はいくらでも設定できると思われる。どうして「大連立」のような単なる手段がメディアの見出しを飾るのか、筆者にはとうてい理解が及ばないところである。
(文中意見に係る部分はすべて筆者の個人的見解である。)