――先生の提言には法改正や委員会・除染研究センターの設置など、政策も盛り込まれていました。科学者でそこまで言及されるのは珍しいと思います。この政策提言も「問題解決の学問」の延長線上で導きだされたのですか。
児玉 そうです。
放射線問題は常に、過敏とも言える厳重な法的規制と向き合ってきました。原発事故が起こった途端に、それまでの厳密な法律を忘れ「直ちに健康に問題はない」と言った枝野(幸男)官房長官に、ものすごい違和感を覚えました。
15歳のとき魅力を知った遺伝子工学
今もそれを追求し続けている
――肝臓内科医、ゲノム研究、創薬と歩んで来られました。臨床と研究の両方を手がけられるのは、先生が先端研に移られた当時珍しかったとか。
児玉 今は、臨床と研究をやることは珍しくないです。ここ(先端研)にも多いですよ。
――アイソトープ(同位元素)に関する知見を、しかし今回のように大規模な測定・除染作業に活かすことになるとは、想像されなかったのではないでしょうか。
児玉 私の原点は、高校の恩師、貝沼喜平先生(生物)の教えにあります。生物部で一年のとき枯草菌の実験を、2年のとき大腸菌の遺伝子工学を、3年でファイX179ファージの実験をやらされ、遺伝子工学の魅力にとりつかれたんですよ。
15歳の時にたたきこまれた遺伝子工学を活かして、内科医としては病気を治す治療法をつくることを考え、創薬においては病気のメカニズムを明らかにすることを考えているに過ぎません。自分のなかでは、絶えず1つのことと捉えてやってるわけです。今回の一連の活動もそうです。
――児玉先生がかつて貝沼先生に薫陶を受けられたように、今の学生・研究員さんには何を伝えたいですか。
児玉 強いて言えば、「科学者は属性でなく本質を議論しなさい」ということに尽きます。
貝沼先生は当時にして、「これからはDNAの時代です」と中学生や高校生に教える慧眼を持っておられた。20年、30年、50年後に大切なことを教えられる教師こそが、真の教師です。それと比べると自分はいつも道端のヤギのションベンのような恥ずかしい存在に過ぎない気がしています。