本連載も最終回を迎えた。著者が自身の経験を振り返りながら、連載を総括する。幸せとは何か? 自由を得るにはどうすれば良いのか? 世界はどう変わっていくのか? 真に「生きる」ことで心身をすり減らしながらも自分の得手不得手を知り、将来の可能性を模索し続けながら発する、渾身のメッセージをお届けしよう。

 この連載も今回が最終回。最後は全体を総括しながら、自分自身のキャリアと照らし合わせ、そこからメッセージを抽出して伝えようと思う。

経済成長と引き替えに
日本が失ったもの

 2010年の秋、イギリス留学から帰国した僕は心の底から安堵した。

 久しぶりの日本は、相変わらず安全で便利な国だった。

 列車の切符はスムーズに買えるし、自動販売機のジュースも充実、売店の店員は親切で謙虚だ。気をゆるめて列車の座席の横にバッグを置ける国は、他にない。

 その一方、成田エクスプレスで新宿に向かう車窓から見える、電柱と電線が張り巡らされた田園風景の醜悪さが一層引き立って見える。自然と景観を保全するために、電線が地中に埋められているのが一般的なヨーロッパから帰ってくると、この国が経済と引き替えに失ったモノの大きさを思い知らされる。

 新宿駅では、帰途につく僕とは逆向きに、朝の通勤ラッシュで会社に向かう覇気のない人々の目が濁って見えた。

日本は豊かだが、決して幸福な国ではないな、と悟る瞬間だ。

 日本人の幸福度が低いことは有名だ。

 国の幸福度に影響する要因はたくさんある。たとえば、気候条件、出生率、宗教、雇用、格差、それらが複雑に絡み合いながら、幸福度に影響を与えている。

 しかしそれらは決定要因ではなさそうだ。

 南国だから幸福なわけではないし、イスラム教国家は一般に幸福度が低い。格差は幸福に影響を与えるが、中南米のように大きな格差があるにも関わらず幸福度が高い国も存在する。

 もちろん「金」は大きな影響要因だ。だが年間所得1万ドルを超えると、幸福との相関は一気に薄くなる。