日本が不幸せなのは
個人への寛容度が低いからだ
では、幸福にもっとも影響を与える要素は何か?
『幸福途上国ニッポン 新しい国に生まれかわるための提言』(アスペクト)の著者・目崎雅昭さんに聞くと、それは二つであった。
一つは「(個人の)社会への参画度」、そしてもう一つは「(社会の)個人への寛容度」である。
「社会参画度」については、例えば住民の地方自治への参画度合いが高いことなどが指標となる。スイスでは、地方自治が進んでいる州ほど住民の幸福度が高いことがわかっている。日本でも道州制の議論が上がっているが、それが国民の地方自治への参加に繋がるならば、幸福度に好影響を与えることになるだろう。
「個人寛容度」については、例えばLGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダー)と呼ばれる性的少数者を認めるかどうか? あるいは男女平等指数(例えば国会議員に占める女性比率)などがわかりやすい指標として挙げられる。ちなみに日本の男女平等指数は、134カ国中101位と低迷している。
様々な指標や事象からみて、日本は個人の自由な生き方への寛容度が極めて低い国である。
この国は、閉塞的な集団主義の国である。
経済の成長にキャップをはめられた今、その抑圧感が一層激しくなっている。
僕は現在、いわゆる「浪人」の身分だが、浪人がこの社会で感じる窮屈さは極めて大きい。僕が定期的に海外に出るのは、その目に見えない抑圧感から逃れるためだ。
そうした抑圧感はどこから来るものか?
それは壊れつつある産業オペレーションからだと思う。
日本は主に、輸出製造業で「生計」を立ててきた。国民の多くは、何らかの形でこれらの産業に関わる「労働者」だった。一貫した産業のオペレーションが主役で、個人はそれを動かす要素だった。しかし今、産業構造や世界の情勢が変わり、オペレーションが富を産み出さなくなり、集団主義的な抑圧構造だけが残った。